私にとっての 「泥縄」 (R15 + 指定)
「泥縄 (どろなわ)」 とは、「泥棒をとらえてから縄をなう」 の略語で、ことが起こってからあわてて対応策を考えることをさすらしい。
この用語を日常的にどんな場面で遣えばいいのか、イメージがわかないため遣ったことはないように思う。
個人的には、とりあえず泥棒はもう捕まえているのだから、縄はこれからでもいいではないか、とは思っている。
さて、「泥縄」 というか 「泥」 と 「縄」 という 2 つのアイテムが揃うと私にある物語を思い出させる。
タイトルも分らないし、どこの出版社だったのかも分らない。
「中学のときに自宅にあった『世界の神話』のいずれか」 から得た話だろうということだけ分っている。
先ほどネットで調べたので、元ネタがなんだったのかは簡単に分った。
本当にインターネット様様。
ネットがなかったら調べきれないだろう。
それは中国の 「女媧 (じょか)」 という、人間を創造したとされる女神にまつわる話だったようなのだが、中学の頃に読んで衝撃的だったのだ。
女媧は黄土を手でこねて人間を創り始めたのだが、途中からめんどくさくなって、縄を泥に浸してその跳ねた泥でも人間ができたから、「これでいっか」 とラクをし始めたのである。
これにて人間が大量生産されることとなった。
めんどくさがりの私には女媧の気持ちが大変よく分るのだけれども、問題は 「手でこねた人間はとても美しい仕上がりの人になった」 と、「泥と縄で作ら (量産さ) れた人間は、テキトーな造形をしていた」 のように書かれていたことである。
本来は 「手でこねた人間 = 貴族」、「泥と縄で量産した人間 = 凡人」 のように書いてあるらしいのだが、私の実家にあったものはもしかしたら子どもが分りやすいように敢えて直接的な書き方をしたのかもしれない。
子どもながらに選民意識というか、差別意識というか、こんな直接的に書いていいのかと衝撃的だった覚えがある。
中国ではたとえば子どもの間で 「お前は泥縄で作られた方だよな」 みたいな揶揄がおこなわれたりするのだろうか。
変な意識が思春期の頭の中に植え付けられてしまったため、テレビなどで大変美しい人を見ると 「あぁ、この人は手でこねられた方の人だ……」 みたいなことを無意識に思ってしまう。
これを読んだ人に同じ意識が植え付けられるかどうかは分らないけれど、R15 + 指定でお願いします m(_ _)m
お読みくださりありがとうございました (^^)