坂本さんはいません
10 年以上前の話である。
私はその頃接客業に従事しており、占有面積がかなり広い、ある物販のショップで働いていた。
接客業界の常であるとは思うが、従業員は人手不足だった。
しかし、そもそもあまりお客さんがお買い物に来るような場所ではなかったので、なんとか 2 ~ 3 人で回していた。
単純な商品販売ではあったが、単価がそこそこする & 商品説明が多いので、お客さんにスタッフが 1 人ついて接客するスタイルだ。
常連さんは大体スタッフに付くので、それぞれみんな固定客を持っており、そのお客さんが来た時はそのスタッフが対応する。
不在の場合は別のスタッフが担当する。
当時、私の同僚のひとりであった O さんは、透明感のあるとても美しい落ち着いた人で、儚げな雰囲気を持っていた。
お店は立地も良かった (高級住宅街) ためか、客層は金銭的・精神的に余裕のある方が多く、また彼女は特に上品かつ年配のお客さんに好かれていた。
この O さんのお客さんで、とても上品でダンディな 50 歳後半くらいの男性がいらした。
スタイルも良く、髪型も洗練されている。どうやら商売をされている方のようだ。
O さんは線も細く、「よく食べなさい」 ということなのか (?)、ちょいちょいおやつの差し入れをお客さんからもらっており、それを私含むほかのスタッフにも分けてくれていた。
ある日、このダンディな男性が、買い物がてら差し入れを彼女に持ってきた。
どうやら自分のお店で取り扱っているお菓子らしい。
O さんはありがたくそれを受けとったが、お菓子のサイズがそこそこ大きかったため、接客の邪魔にならないよう一旦それを休憩室に置いた。
お菓子を置いて通常通り接客して、お客さんの購入するものが決定した。
商品の在庫が 2 階にあったため、O さんはそれを取りに行った。
お客さんにはその間、1 階の椅子にかけて待機してもらう。
ダンディなお客さんが入店してから、私はずーっと 1 階で事務作業をおこなっていたが、お客さんの購入が決まったのをうかがって、O さんの会計の準備を始めた。
店は 2 階構造だが、吹き抜けである。
だから 1 階で大きな声を出せば 2 階にも聞こえる。
そこへ誰かが叫んだのだ。
坂本さぁん!!
と。
え?
なになに?
何が起こった!?
だって今店の中に O さんと、ダンディなお客さんと、私しかいないよね!?
あのお客さんは坂本さんではないし、O さんも坂本さんではないし、私も坂本さんではない。というか私の名前は知らないだろう。
坂本さん?
誰!?
パニックになる私。
アルバイトも併せたら結構長く接客業に従事していたため、割と大抵のことには動じないが、こんなケースは初めてである。
あのお客さんが叫んだんだよね?
確かちょっと上に向かって叫んでたみたいだったし……
あれは明らかに O さんに向かって言ってたよな……。
どう見てもマトモそうなお客さんが、誰か分らない、ここにいない人の名前を叫んでいる。
どうしよう、とりあえず坂本ではなくても、O さんに用事はあったんだろうな……。
どうしよ、伝えるべきだよな……。
でもお客さんの横通らないと 2 階行けないし、ちょっと気まずい……。
と、逡巡している間に O さんが商品を抱えて戻ってきた。
そこをダンディさんが捕まえられたかどうかは忘れてしまったが、どうやら彼女の様子から類推するに、「坂本さぁん!!」 は聞こえていないようだった。
在庫があるのは 2 階の控え室なので、そこに入ってしまえばいくら吹き抜けといえど聞こえない確率は高い。
そのお客さんが退店してから、O さんに
「さっき 〇〇 様、坂本さぁん! って多分 O さんのこと呼んでましたよ」
と話したら、
え、そうなの? 全然聞こえてなかった!(^^;)
と言っていた。
もちろん、ダンディさんは O さんが 「O さん」 ということを知っている。
覚え間違いをしているわけではないのだ。
一体全体、坂本さんはどこから来たのだ?
2 人であれこれ会話してみたが、思い当たる坂本さんはいなかった。
謎に包まれたまま私はお昼の時間になり、休憩室でお昼ご飯を食べていた。
2 人しかいないので、ひとりで昼食をとることになる。
休憩室のテーブルには、さきほどのお客さんが O さんに渡した差し入れが置いてある。
かなり大きくて存在感がある。
そこに書いてあった。
坂本屋
どうやら、老舗のカステラ屋さんらしい。
ここのご主人と知り合いなんだろう。
※ カステラまでネタバレするつもりはなかったのだが、どうやら有名店のようなので隠しきれないと思って記載してみた。
正直、当の坂本さんはこの件にまったく関わっていないから、多分大丈夫だろう。
もう時効かな、とも思うし。
せっかくだから PR しておく。
ちなみにこの一件で、カステラも食パンと同様 「1 斤」 と数えることを知った。
O さんを 「坂本さぁん!」 と呼んでしまうなんて、学校で先生を 「お母さん」 と呼んでしまうようなものではないか。
しかしあんなダンディな人でもそんなことをするなんて、やはり人間って面白くも愛おしいなぁと思う。
どうか 〇〇 様はお読みになりませんように!
m(_ _)m
※ 本記事ではオッサンのような語り口調に合わせるため 「お客さん」 と記載していますが、実際は 「お客様」 と呼び、尊敬語・謙譲語も可能な限り使用しておりました m(_ _)m
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