見返りは欲しい
よく 「見返りを求めないのが本当の ○○」 と世間では言われるし、言わんとしていることも分る。
しかし私は、見返りが欲しいのだ。
私は本当に微々たるものだが、毎月ある 2 つの団体に寄付している。
なぜ 「微々たるもの」 かというと、私が無職になったとしてもやめなくて済む金額だからだ。
無職になった途端 「じゃー寄付やめよーっと」 となるのは、自分の中でなんだか悲しい気がしたのだ。
(自分が対象の場合だけであって、ほかの方がそうしたとしても同じようには思いません m(_ _)m)
ひとつは個人的にかつての愛猫関連でお世話になったところ。
もうひとつは個人的にこの世から消えて欲しい犯罪の被害者を支援するもの。
このふたつにおいて (このふたつだけではないけれど)、私は私なりに 「見返り」 が欲しい。
私の寄付金が、私が 「役に立てて欲しい」 と思っている人たちのために実際かつ有益に遣われていること
これは私も確認しようがないので、そう信じるしかないのだが (いくら情報を公開していようが、それが事実かどうかを確認するすべは私にはないため)、特に 2 つ目の団体への寄付金は、
間違ってもその犯罪の新たなケースを作るために遣われないこと
は絶対条件である。
しかしこれも確認しようがないので、普段神にも拝まない (感謝はする) 生活をしているが祈るしかないのである。
「見返り」 とは何だろうか?
たとえばプレゼントひとつとっても、相手が気に入るものをあげられなかったのなら仕方ない。もちろん無理やり使わなくていい。
しかし、たとえば
「いらねぇよ、こんなもん!」
とか言われて顔にそのプレゼントを投げつけられたりするのはまったくもって嫌である。
「好みではない」 ことを伝えてくれた方が後々ありがたいとは思うが、
「ごめん、ちょっと好みじゃなかったや (^^;)」
くらいの気遣いとか優しさは見せてくれるとありがたいなー、とか思ってしまう私はむしろプレゼントをあげない方が相手にも良いのだろうか。
でもそうすると 「相手が喜ぶものをあげられるチャンス」 も消えてしまうことになる。
まぁ、「あの人に何かあげたい」 と他者から思われる時点で、「こんなもんいらん」 と言ってくるような人ではないだろうから杞憂かな。
「もらったものが好みじゃなかった」
これ結構難しいよな~。もらった相手との関係性や親密度、金額や物にもよるしな~。
昔アパレル関連で働いていたときに、私が接客したのではないけれど、奥様のプレゼントを買いに来た男性がいた。
何をあげればいいのか分らなかったのか、悩みに悩んで別スタッフと相談して 5 万程度の人気商品 (実際素敵な商品だった。上品で大人っぽく、かわいさもあって一般的には嫌がられそうな感じはしないものだった) を買って行ったようだ。
私はよく知らなかったのだが、後日、その奥様がその商品が気に入らないからと返品に来た。← これは私が対応したのかちょっとうろ覚えだ。
「えっ、'誕生日プレゼントが気に入らないから返品してくる' って旦那さんに言ったということ?」 と少し驚いたが顔には出さず、基本的に返品は受け付けていないため交換しかできないことを伝えたら、別の商品を選んでくれた。
なるほど、旦那さんが贈った商品とは真逆のテイストのものだった。
最終的に自分の好みのものを選び、自宅が近いのか実際に使ってくれているのを別のスタッフが目撃したようだった。
この件に関しては色々と思うところがあった。
まず、旦那さんが選んだ商品が奥さんの好みとは全然違ったということ。
ふたりは結婚しているはずなので、5 万というお金が共同のお財布から (?) 出ていること。
タンスの肥やしにするには、5 万は決して小さい金額ではないこと。
旦那さんからのプレゼントを、最終的には活用していること。
もし、私が奥さんの立場なら同じようにしてしまうかもしれない……。
もちこんこれは旦那さんの性格や関係性とも大きく関わると思うけれど、私の今の状況 & パートナーの性格を考えたら同じことをするかも……。
実際、私も 10 代の頃付き合っていた人に 「全然好みではない服」 をもらったことがある。
本人が好きなブランドの服をくれたのだ。「着て欲しい」 でも 「似合いそうだから」 でもなく、「俺が好きなブランドを好きになって欲しい」 という気持ちの表れだと思っている。
相手は年上だったので (私には) そこそこの値段に感じたし、全然好みではないしブランド自体も別に好きにはならない。
なんとなく着なければ悪い気になって、数回着てみたもののなんだかそういう自分がまるっと嫌だったのを思い出して今ちょっとモヤモヤしている (^^;)
子供の頃もおかんが買ってきた、タートルネックの襟になんかパールがついてクラウンの帽子みたいになってるシャツ (分りづらい) も、「えっ…… ( ⊙⊙)!!」 と思ってたけどおかん気に入ってたみたいで (そりゃ確かにおかんが好きそうなデザイン)、なんか気に入ったフリして頻繁に着てたけど本当に嫌だった (自分が)。
あぁ、プレゼント怖いよう (><)
おかんの服はプレゼントじゃないけれども。
いくら 「見返り求めてない」 って言ったって、「これはいらないや……」 っていう反応はしないで欲しいくらいの見返りはみんな自然に持っているよね? (私ももちろんそうだ) だって買う前なら 「いらない」 って言っていいけれど、もう買ってしまったんだよね?
嫌がらせであげていないんだから、相手が喜ぶと思って買ったんだよね?
それに対してビミョーだった場合はどういう反応をすればいいのかすごく困る。
私はプレゼントもらったときは変な (気に入っていない) 反応が (隠しとおすつもりだが) 出ちゃったら困るので、本人の前ではなるべく開けないようにしている。はしたないのかなとも思っていたし。
(でも 「本人の前で開けるのが礼儀だよ」 という人もいて正解がどっちか分らない)
だから私も目の前で開けて欲しくない。
「う、うわー、ありがとう (^^;)」
みたいな反応させるのも悪いし、実際私は 「これ、どうなんだろう?」 みたいなものを敢えてあげたりするからだ ← (^^;)
「ちょっと気になるけれど自分で買うには高い & 役に立たなかったらリスクが高い」 みたいなものをあげたりすることがある。
思っていたものと違ったら、気兼ねなく廃棄 or 譲渡してもらって構わない。
プレゼント選ぶのは好きなんだけれども、自分が贈られる側だと結構 「?」 って思いがちな自分の性格を考慮し、そこまで仲良くない人からのプレゼントは断っているし誕生日を訊かれても答えないようにしている。
身勝手だなぁと思うが。
パートナーと自分の誕生日にはそれぞれ 「3 万」 と決めて、お互いの欲しいものを買っている。
大体スマホとかタブレットとか、「必要に駆られていないけれど、棚ぼた的になら欲しいかな」 みたいなものを買うことになり、多少味気ない。商品金額が 3 万で足りない時は残りは自腹だ。
サプライズのプレゼントもない。
ほかには 「ちょっといいゴハン」 と 「花」 と 「ケーキ」 を、お互いの誕生日付近で用意するだけ。
クリスマスはあるときもあればないときもある。バレンタインしかり。でもどっちもせいぜい 3,000 円くらいだし、大抵食べ物だ。
パートナーといえば恋愛だって 「見返りなし」 は私も全然無理だ。「見返りなし」 というのは 「どう扱われても平気」 ということ?
個人としてはきちんと尊重していただきたいし、構わず浮気してしまえ~なんてのも困る。
自分が無償の愛を捧げられる高尚な人間でないのは、昔からよく分っている。
しかし、思うのだ。
「親から子への愛は無償」 とよく聞く。
愛される方がそう思えるのなら、それはとても素晴しいし幸せなことだと思う。
けれども愛する方が 「無償の愛情を注がなきゃいけないんだ」 とプレッシャーに思うようなら、これは事実ではないのではないかと思う。
たとえば子どもから暴力をふるわれたら、暴言を吐かれ続けたら。
親である前に人は人間なので、「限界」 はあって当然なのではないかな、と思う。
無償の愛ってそんなに偉いのかな?
そうでなくてはいけないのかな?
喜んだフリはしなくてもいいから、「いらねぇよ!」 って突っ返されるほどのダメージは与えてくれないよう、願ってはダメかなあ。
人はそんなに完璧ではないし、母親は常に聖母ではない。
「無償の愛情」 ってよく 「母親から子どもへ」 っていう構図で言われるような気がするのだけれど、父親からの愛情はあまり言われないのはなぜだろう。
ボランティア精神が美しく映るからなのかも分らないが、見返りなんて求めるのが普通じゃないかと思っている。
会社で明るく挨拶するのも 「私は挨拶ができる常識的な人間なんですよ」 というアピールをして、「変な人」 扱いされないようになるメリットがある。仕事回してもらえたり。
みんながみんな見返りのために行動しているとは言わないけれど、見返りを求めることは決して悪いことではないと思う。
ただそれは 「相手」 とのバランスが大事で、「程度」 の問題なのだ。
全然気に入っていないのに 「わーありがとう! これ大好きなの! また同じの買ってね!」 (極端 1) って言うような見返りは求めないけれど、かといってブン投げられて 「いらねぇよ!」 って言われたり、「そんな! プレゼントするお金があるってマウントするために買ったのね!」 (極端 2) とかもちょっと困るなあ。
こちら側としては
│極端 1 │← この範囲の見返りは欲しい → │ 極端 2│
ということなのかな。
そしてこれが相手に取って
│極端 1 │← この範囲なら見返りとして返せる → │ 極端 2│
なら 「あ、そのくらい返せますよ」 となるけれど、
(「へー、好みとは違うけどもらって嬉しい」 なら言えるよ! みたいなこと)
相手がもし
│極端 1 │← ここまでしか無理 → │ 極端 2│
だと 「何コイツ図々しい」 とか 「そこまでしたくない」 って思うと思う。
(無言で受け取るのが精一杯とか)
匙加減はやはり本人たちの性格や関係性にも左右されるけれど、見返りを求める方としては相手の │← 許容範囲 → │に収まる程度の見返りを期待したいなと思っている。
なんだか分りづらいな。
全然うまく説明できた気がしないけれどもう 21:00 だからいいや。
お読みくださりありがとうございました (^^)