MOTOKO MATSUZAKI

1999年に逝去した作家、後藤明生は、マニアックな作風ゆえに知る人ぞ知るという存在でしたが、根強い愛読者の皆さまのおかげで、今静かなブームの中にいます。生誕90年を記念して、懐かしい写真をアップしつつ、準備でき次第生前のNHKカルチャーでの文章作法講義の音声を公開する予定です。

MOTOKO MATSUZAKI

1999年に逝去した作家、後藤明生は、マニアックな作風ゆえに知る人ぞ知るという存在でしたが、根強い愛読者の皆さまのおかげで、今静かなブームの中にいます。生誕90年を記念して、懐かしい写真をアップしつつ、準備でき次第生前のNHKカルチャーでの文章作法講義の音声を公開する予定です。

最近の記事

 2016年に国書刊行会より、後藤明生初の作品集「後藤明生コレクション」(以下『コレクション』)全5巻が刊行されました。父の全ての作品が収められたわけではありませんが、父と縁のある編集委員の皆様が検討を重ねて選んだ作品をカテゴリー分けし、各巻にまとめていただいた事で作品が新鮮によみがえり、新旧多くの読者に歓迎された事は喜ばしい限りです。多くの方のお力を得て刊行に至ったコレクションですが、その原動力となった粘り強い友情について、ぜひ書いておかなければと思います。  記憶が曖昧で

    • この人を“再び”見よ

       父の死後、私に父の作品の著作権継承を任せると決めた時、母は「いずれ作品集が出るかもしれないから、その時はお願いね」と期待していました。しかし、話はあったものの実現には至らずの繰り返し。それでも既刊の古書が出回れば作品が読者に届く望みがありましたが、皮肉にも価格が高騰し、簡単に購入できるものではなくなっていたのです。読まれることが叶わない。作家として崖っぷちな状況が長く続きました。  そんな苦境を救ってくれたのが、父の最後の小説『この人を見よ』の刊行でした。担当して下さったの

      • せめてもの かけらたち

         父の家族は元々は福岡県の出身ですが、父の曽祖父の代から北朝鮮に移住し、父は永興という町で生まれました。実家は雑貨店を経営し、少年時代は幸福だったようです。しかし、植民地だった故郷は敗戦の日を境に一瞬で消失しました。この衝撃は父のその後の人生に常にまとわりつき、そこからもがく過程で生まれてきたのが父の作品だとも言えるでしょう。鮮明に記憶に残る場所が「無い」ことをどう受け止めれば良いのか。日本に引揚げてきてからずっと自問し続ける日々。自分が現在いる場所も営んでいる生活も、どこか

        • 再生

          CD ジャケット完成!

          制作進行中の後藤明生文学講義録音CDのジャケットデザインが完成しました。宣伝用に生まれて初めて動画作りに挑戦!夫が後藤明生の音声をエフェクト処理して作ってくれました。ちょっとイカれた出来栄えが話題となっております。

          働く

          私が幼稚園くらいの頃、父は既に会社員を辞めていました。毎日朝寝坊して、パジャマにドテラ姿。友達の家のお父さんとは明らかに違うなあとは思っていましたが、仕事部屋に遊びに行くとゲラ刷の裏をお絵描き用にくれたり、母には禁じられている砂糖入りの甘いほうじ茶を作ってくれたり、平日の空いている公園で鉄棒を教えてくれたり、毎晩お風呂で湯船のお湯を勢いよく溢れさせて大笑いしたり(これももちろん、母に見つかれば叱られる!)後にも先にも父と最も密接だったのがこの頃です。  今から20年ほど前、河

          編集したら、俺じゃない。

          プロフィールにある通り、後藤明生の生誕90年の記念に、実家で見つけた生前の文学論講義のテープをネット公開の後、CDリリースしようと言う目的で、このnoteを始めました。多数あるテープの中から録音状態、講義内容などを比較検討して谷崎潤一郎作『吉野葛』を論じた回を選び、制作を進めています。CDには約60分しか収録できませんが、講義は120分前後に渡ります。2枚組にすると言うのも、現実的に予算の都合もありますし、元々公開用に録音されたものではなく、勿論編集されているわけでもないので

          編集したら、俺じゃない。

          独身写真集なるもの

          このアカウントの記事を書くために、父の古いアルバムを実家で掘り起こしたところ、棚の隅に意外なものが隠れていました。スケッチブックに収められた父の若き日の写真です。表紙をめくるとボールペン書きで『独身写真集』と書かれています。筆跡は父のようでもあり、違うようでもあり。内容はタイトル通り、1954年22歳から1960年初めくらいまでの父と友人、家族との写真が収められています。  一見普通のアルバムですが、私の心にはザワザワと違和感が渦巻いています。何故わざわざ独身時代をクローズア

          独身写真集なるもの

          ポロシャツと外套

          晩年の父は、遅ればせながらファッションに目覚め、大阪の船場にある店で頻繁にスーツを新調していたそうです。遺品整理の時、積み上げられたスーツ箱の数に驚きました。誰かに譲ろうかと言っても、162センチと小柄な上、独特なラインを描く背骨に合わせたスーツを着られる人などそうそういるはずもなく。果たしてあのスーツはどう始末したのだったか? しかし、それ以前の父の服装は至って簡潔で、家ではパジャマ、外出時はポロシャツ、仕事ならその上に背広をはおり、冬は外套。それぞれの年代でほぼ同じよう

          ポロシャツと外套

          破顔の人

          父は顔全体で笑う人でした。太い眉、目、鼻、口全てのパーツのみならず、眼鏡まで笑っているような。そしてあの笑い声。文字で表すとすれば、口の奥から声というより空気を大きく吐き出す「カッカッカッ」という感じでしょうか。大して面白くもない冗談や友人の与太話をしては勝手に笑い出し、その笑い方がおかしくてつい私も笑ってしまう、というのが常でした。アルバムをめくるとやはり、笑顔の写真が沢山残っています。すまし顔や微笑んだような顔の写真はどこか固く、撮られる気構えが表れていますが、その合間に

          始動します。

          このアカウントを作ったものの、なかなか着手せずにいましたが、本日より少しずつやっていきます。 まずは、プライベートを主とした懐かしい写真から。実家のボロボロのアルバムに収められた写真が意外にも保存状態が良いのは、恐らくマメな母のおかげでしょう。 1枚目に選んだのは、1973年ごろ(75年かも?)の父と私。当時住んでいた千葉県習志野市のマンションの居間にて。バックに写るのは、入居の際特注で造りつけてもらった壁一面に聳える書棚です。子供の頃、ソファに寝転んでこの書棚に並ぶ本の名前

          始動します。