進化する時間泥棒

「モモ」と言う小説の中には「時間泥棒」と言うキャラクターが出てくる。いわゆる悪役。そして、大人になって本当にその「時間泥棒」がいるのではないかと言う錯覚を感じている。もしかしたら、彼らはどう言う形にしろ実在している何かしらなのかもしれない。

村上春樹が特集されているBURTUSを読んでいたら、カセットテープについての記述があった。私は村上さんよりもかなり控えめに言って少しだけ年下なのだけど、カセットテープを愛用していた世代である。

記憶に残っているカセットテープへの録音方法は、①ラジオからの録音 ②テレビからの録音 ③レコードのダビング の三つ。しかし、私がごく子供の頃の我が家にはレコードプレーヤーとラジカセしかなかった。レコードからカセットへのダビングができるようなシステムオーディオを設置したのは、私が中学生になった80年代だった。

中学生くらいになると、それなりに音楽を楽しむようになった。アイドル番組もよく観るようになった。ニューミュージック(いまでいうJ-POP?)や洋楽も聞いたりした。友人とカセットのやりとりやダビングしてあげたりしてもらったり…。

カセットテープに対するこだわりもあったりした。「このアーティストには、メタルを使いたい。」なんてことを生意気にも言っていたりしていたような気がしないでもない。

そして、高校生になるとウォークマンをアルバイトして購入した。学校の行き帰りの間、時には授業中にも長い髪の毛でイヤホン?(当時はもっとかっこいい呼び方をしていた気がするんだけど)を隠して、聞いていたりした。同年代の人は、大概こんなことをしていたような気がする。

カセットテープに自分で選曲した物を録音して、個人で楽しむことはもちろんだけど、人に披露して自己顕示欲を満たす道具にも音楽はなっていた。「クリスマス特集」なんて、誰でも作ったんじゃないのかな?

今はストリーミングでそんなことしなくても勝手に朝の音楽をSiriやAlexaが選んでかけてくれる。あの頃、あんなに時間をかけて、労力とお金をかけて(お金は多分サブスクリプションよりかかっていた)作っていたものが、「ヘイSiri」で事が足りてしまう。それだけじゃない。テープの余白を早送りしたりする手間、レコードをひっくり返す手間もいらない。もう今は、A面とかって言う言葉もない。

「あの手間と時間、どうしていたっけ?」

その時、それを面倒だと思った事があったのか?それすら忘れているけれど、多分そう思った人がたくさんいたから、今のシステムが出来上がったんだろう。そして、それに費やされた時間が今現在霧散してしまっている。

レコードをジャケットから取り出して、ターンテーブルに乗せて、埃をとって、針を慎重に乗せる時間。音楽が終わった後、それをひっくり返す時間。カセットテープの長さを測って、それを買いに行く時間。そしてダビングする手間。

ダビングしたカセット(もちろん購入したものもそれなりに)は、ピッタリ入るわけではないから、曲の終わりにテープを早送りして、止まったら入れ替えると言う作業をする時間。これは割と早くオートリターン(だったかな?)という機能ができて、入れ替えしなくても裏面を再生する事ができるようになったけど。

レコードにしても、カセットにしても、片面に入る曲数はせいぜい5から6曲くらいだったから、20分から30分に一回は、その作業をしていたはず。若い頃の貴重な時間の何十分の一…もしかしたら、十何分の一くらいの時間が節約できるようになったはずなのに、まるで実感がない。

科学や文化の発展はとても素晴らしい。でも、だからと言って時間のゆとりは生まれない。そういう事なんだと、今更ながら実感してしまった。だから今日は、レコードをターンテーブルに乗せて、レッドツェッペリンとか聞いてみようかと、そんなことを考えてみたりした。

あの手間をかけることは、無駄な時間じゃなかったんだな。

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