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どこでもないここ、何者でもないわたし

 まだ席は十分あるし、飛び入り参加もできるよ?

 今日の運営メンバーの一人、姉御肌のMさんの残念そうな顔を笑顔で受けて、「仕事途中で切り上げてきちゃったから、家で続きやらなきゃ」と返した。

 社会人六年目。仕事が忙しくて時間が取れないのと、ライフイベントのずれで、年々友達と呼べる人が減っていく。恋人? 朝から晩まで社屋や顧客先で缶詰になっている私の辞書にそんな単語はなかった。結婚適齢期と言う黄昏色の言葉がチリチリと私の背を焼きはじめていた。その頃はまだマッチングアプリなんてなくて、結婚相談所は敷居が高過ぎた。

 私は趣味と実益を兼ねて、社会人向けの読書サークルに入った。そのサークルは純文学、ビジネス書などジャンル別に会が分かれていて、会員は毎月提示される課題本を読んで、カフェなどに集まって感想を言い合う。全部の会に参加する熱心な人もいたけれど、私は行けて月一回。そのサークルに入って、多くの社会人は平日夜に人と会えるだけの余裕があるのだと知った。

 本当に帰るつもりだったのだ。会場のカフェの手前で、とてもいい感じのラーメン屋を見つけたから、帰りにそこのラーメンを食べてから仕事しようと思っただけだ。でも、気付くと私はそこで餃子やねぎだく叉焼をつまみにビールを飲んでいた。

 そこは昔ながらの醤油ラーメンを売りにしている店だった。店の情報は、サークルの待ち時間中に有名ラーメンサイトで確認してあった。味から判断するにおそらく化調不使用、煮干しと鰹だし中心、澄んだスープ、麺はやや縮れた中太、メンマが太くて食べ応えがある、らしい。もうそういう舌ができあがっていた。店内は湯気でもうもうとしていて、寒さでキチキチきしむようだった眼鏡までぼやっと緩んだ。

 初めて入る店でラーメンを頼むときは、その店の一番スタンダードを、トッピングを付けずに頼むことが多い。カウンター越しに運ばれたどんぶりからは、期待通りの醤油とごま油の香りが立ち上がる。私は箸を割り、小さく頂きますと言って手を合わせた。

 はぁーー。

 私が満足のため息を吐くと、斜め向かいに座っていた男性客二人とばっちり目が合ってしまった。そしてニコリと笑いかけられた。恥ずかしかった。「ビール、いける?」一人が言った。

 二人の髪には白髪が混じっていて、私の父親だと言っても通るくらいの年齢だ。こんな時間だから仕方がないのだけれど、ワイシャツは背中や腕や襟もとに、湿度のある細かなシワが沢山寄っていて、大変にくたびれていた。

「お二人は同じ会社なんですか?」

「いや、全然違う。この人は建設系で、私はサービス業」

 しかも、幼馴染とか大学のよしみとかいうのでもないらしい。片方が大将に声をかけて瓶ビールを追加注文し、もう片方が、宴会などでよく使われる、ビールの銘柄が印字された小さめのグラスを私に勧めてくれる。

 ラーメン屋にこれだけ長く居座っていいんだろうかというくらい飲み、話をした。建設系の人(以後、ケンちゃん)はみかんの採れる県出身で、サービス系の人(サッちゃん)はみかんが採れる別の県出身で、どっちのみかんが美味しいか、笑いながら言い争っていた。酒のせいで声が大きいし表情もギラついているけれど、喧嘩ではなく、二人の間のお決まりのやり取りといった風だった。

「僕は単身赴任でさ。たまたま一人で飲んでたらこの人と会って意気投合したのよ」ケンちゃんが言う。

「うちに帰ってもひとりよ……。家は大阪なんだけどね、次も地方だろうなあ」

「俺はサービスって言っても管理部門でね。現場から入ったから、向いてないんだよねえ。管理部門を縮小する動きもあるし」サッちゃんまで突然しんみりしたことを言う。

「でもまあ、こうやってたまに飲めるのがいいんだよな!」

「今日は運よくお姉さんと飲めたし!」

 突然くるりと明るい声を出して、二人でがはははと笑っている。当時私は経営コンサルタントをしていて、仕事で顧客先の従業員のインタビューをすることが沢山あった。彼らのこぼした言葉はそのようなインタビューでも聞いたことがある話だったから、勝手に馴染み深さを覚えた。彼らの悩みに対して会社が十分にケアをすることは難しいだろうとも思って、少し切ない気持ちになった。

 普通なら、仕事で関わるか、物凄く親しくないと聞けないような話を、初対面で年下の私がラーメン屋で聞いていることがとても不思議だった。職場の上司や男性陣と飲むと、女性は半ばコンパニオン扱いされることがあるが、お姉さんと呼ばれても嫌な気がしなかったのは、彼らが私をそのようには扱わなかったからだ。彼らは私のスーツ姿を見て「きっとお堅い仕事なんだろう」などといい、自分のことを話すのが苦手な私を察して深く追及しないでいてくれた。

 心地よかった。ラーメン屋で、私は、ただ私だった。

 サークルの打ち上げでは、よくも悪くも私を放っておいてくれないから。

 サークルでの付き合いが長くなって、会社名と職務名を言わざるを得なくなった。みんな軽く羨望のまなざしで私を見て、それから半歩後ずさりした。私は決してバリキャリのエリートなんかじゃない。毎日、仕事は全然うまくいかないし、転職したい、辞めたいという気持ちに押しつぶされそうだった。でもサークルの人達はそんな私を見ようとしないし、私も彼らが期待する私像をなんとなく演じてしまっていた。

 職場での私も似たような窮屈さを抱えていた。高度な仕事の出来栄えにはまるで自信がないし、簡単なことでも時折ミスをする自分が情けない。同僚や先輩は「そんなことないよ、頑張ってるよ」と言ってくれるけれど、全然そんな風に思えない。それでも、顧客先に行くときはいかにも自信たっぷりで、賢そうに振る舞わなければならない。

 

 でも今夜は、ケンちゃんもサッちゃんも私も、普段の自分をちょっと脱いでいた。緩んできた私も少しだけ、職場の話をした。

 今日、本音を言えたって、家に帰って寝て起きたら、またそれぞれ代わり映えのしない会社に行って、納期の厳しい現場、気難しい部下、不機嫌な上司と相対しなければならない。

 じゃあ、今日のことはまるで無駄なのだろうか。

 そんなことはない。人が、色々な垣根を取っ払って、杯を酌み交わし、笑う。それはただの気晴らしに過ぎないのかもしれない。でも、人と通じ合えたと感じられる瞬間があるから、人は生きていける。

 ケンちゃんとサッちゃんは最後にラーメンを頼んで、私は瓶に残ったビールを頂いた。俺たちが誘ったんだから払うよと言われたけれど、割り勘にしましょうと食い下がったら、「ん、その分みかんを買ってよ。その方が地元が潤って嬉しいから。どっちの県のが美味しかったか、今度教えて。ね?」と言われた。失礼はないように、でも対等にという気持ちで飲んでいたけれど、やっぱり二人の年の功には敵わなかった。自分が食べたラーメンにほんの少し上乗せしただけのお金を払って店を辞し、その足で、深夜までやっているスーパーに行きみかんを二袋買った。どっちの県のみかんも丸くて甘酸っぱくて、切ない味がした。


 その後、ケンちゃんとサッちゃんとは二、三度飲みに行ったけれど、ケンちゃんが転勤することになって、会は自然とお開きになった。

 それからは、どこへ飲みに行くか迷ったときは、相席が中心の大衆酒場に行くようになった。放映されている野球を一緒に観て盛り上がったり、隣の席のメニューと同じものを偶然頼んで会話が弾んだりした。ケンちゃんとサッちゃんのような関係を、他の人と結ぶことはなかったけれど、だからといって、沢山の人と一期一会で交わったことを、私は意味がないこととは思わない。


 ごくごく短い交流だったのに、私は今でも彼らのことを度々思い出す。何がそんなに私の心を惹くのだろうか。今は家庭を持っているから、ひとりでふらっと飲みに行くことが難しいからということもあるのだろうけれど、それだけでは弱い。リアルで人と会う時、人の属性とその人自身は切り離せないものだが、あの会合にはそれが無かったのが良かったのだろう。

 今の私には、社会の窓といえるものはとても小さくて、SNSはその中で大きな役割を占めている。世間的にも、SNSは自分の属性を取り払った先のコミュニケーションの場として、うまく機能することを期待されていたけれど、SNSでの交流はリアルの人と応対しているという感覚が希薄で、リアルと同等の喜びを得ようとする/提供しようとするのは難しいと感じる。そのくせSNSでの人格が出来てしまって、別の窮屈さが生まれている側面もある。

 なんでもない日に、誰でもないあなたと、誰でもない私でひととき酒を酌み交し、笑い合う幸せ。私はその再来を夢見ているのだと思う。


 今はコロナ禍で、外で人と飲むことそのものがとても難しい。仲間内ですらなるべく集まって飲まないようにと言われてしまう時代で、行きずりの人と乾杯だなんて御冗談でしょうという風潮だと思う。

 それでも、私はいつかまたあの場所、どこでもない場所で、誰かと乾杯したいなと思う。お互いを労い合い、少し悲しみを共有して、そして笑って、美味しいものと雰囲気をつまみに、よい酒を。

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紅茶と蜂蜜
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