アマビエに取り憑かれし女
最近ツイッターでアマビエが熱い。アマビエ(アマビヱ)とは、日本に伝わる半人半魚の妖怪だ。光輝く姿で海中から現れ、豊作や疫病などの予言をするそうだ。疫病が流行った際、自分の姿を絵に描いて広めるようにと言って海中に消えたという伝説があり、ツイッターでも一気に拡散された。新型コロナウイルス禍が早く収まって欲しい、という思いよりは、恰好のネタを見つけたので盛り上がろう! という方が強いような気がするが。
私自身はアマビエブームを遠巻きに見ていたが、このツイートを見て「ちょっと作ってみようかな」と思った。
それでできた第一作がこれである。
そして今、こんな有様である。
……私は何と戦っているの?
我が家は子供が二人。自分の分を含めても三体あればいいのに、こんなに作ってどうするの。どうしよう。後先考えずに作っている。作るのが楽しいのだ。なぜか。
1.暇になった
私は今ツイッターを一時的にお休みしている。そしたらやることがなくなってしまったのだ。いかにも私はツイ廃だ。
子供はコロナウイルスのおかげで、一日の殆どを家で過ごすことになっているが、床暖房のせいなのか、その生活に慣れたのか、二人とも超インドア派になってしまった。私の方から「公園に行こうよ」と言っても、「家がいい」と返されてしまう。そして二人で謎ルールのままごとをしている。暇といっても、子供がいる場所で、小説の執筆など集中力がいることはできない。アマビエ作りは、そんな私の心の隙間を埋めてくれたのだ。子供に振り向いて欲しくて、アマビエを作り始めたと言っても過言ではない。もちろん過言だ。
2.このレシピがよく出来てる
っていうかアマビエの構造が良く出来てる。
少し腕に覚えのある人なら分かって頂けると思うが、手芸は簡単すぎても面白くなく、難しすぎても根気が続かない。その点、このレシピは「ほどほどに手間がかかるが、求められる技術自体はそんなに難しくない」という、ちょうどいい線を突いている。ウロコを波に切る、足のステッチをする、髪を縫い付けるなど、技術にバリエーションがあるのも、出来上がりの程よい達成感につながっていると思う。……真面目に考察しすぎだ。
髪の毛、鰓、目、ウロコ、足それぞれのパーツに幾つもの選択肢があるのもいい。色はどうするか、ビーズやスパンコールは付けるか付けないか。思いっきり盛ってもいいし、シンプルにしてもいい。もちろん、手持ちの資材との兼ね合いになるが、考え出すと幾通りもアイデアが浮かんでくるのが面白い。
私は娘二人の為に二体作った後、自分用に凝ったものを作った。しかしなんとなくしっくりこず、四体目、五体目と作り続けている。
私は、まだ究極のアマビエには出会えていない。
ちなみに、ウロコはふちまでしっかり縫い付けるとウロコっぽくなるが、少し面倒くさい。反対に、縫い付けないままにすると鳥の羽っぽくなる。色は統一感を持たせるのも悪くないが、補色の組み合わせをどこかで入れると、キッチュな雰囲気になってとてもいいと思う。どうでもいい情報である。
3.作ると喜んでもらえそう
いわゆる承認欲求というやつである。なんとなくアマビエを作ってると、ツイッターでも「あっ話題のアマビエですね」と認知されるし、子供は「欲しい」とか「自分でやってみたい」と言ってくれる。それが楽しい。
人は、独りで孤独に作業し続けることにあまり長くは耐えられないものだ。それがアマビエとかいう、訳の分からない生き物なら尚更だ。今も時々「なんで私はこんなことに悩んでいるんだろう」と思う。なのにやめられない。だってそこにアマビエを待つ誰かがいるから。いるのか……?
ところで、アマビエを作っていて思ったのだけれど、髪がないとイルカと似てるよね。もしかしたら海藻を被ったイルカの姿を、海の妖怪と見間違えたのかもしれないな、と思ったり思わなかったり。
あっ、新しいアマビエが私を待っているので、そろそろ筆をおきますね。