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どうせ記憶は消えるから

 某月某日 友人と久しぶりにランチをする。中央市場内で有名な海鮮丼の店が、街中にオープンした支店ということだった。どこから仕入れてくるのか、彼女は美味しい店にめっぽう詳しい。

 友人が頼んだのはいくらも載っている海鮮ごちそう丼で、私が頼んだひかり物中心のランチ海鮮丼より150円高い。同じものを頼まないせいで、盛り下がってしまっただろうか。そう思うなら、最初から自分でメニューを選ぼうとしなければ良かったのに、いつも同じ小さな後悔をしてしまう。ワタリガニ出汁の味噌汁、ミニわらび餅はどちらの丼にもついていた。二人で堪能して話が弾んだ帰り道、家電量販店の前を通った。

「ちょっと寄っていい? 最近ドライヤーの調子が悪くて」

 ふたつ返事でOKする。彼女の性格上、ドライヤーを見るだけでは済まないことはわかっていた。でも、人の買い物に付き合うのは楽しいし、合わせてあげられる。

 携帯電話コーナー、カメラコーナーと進んだ先にロボットコーナーがあり、ロボット掃除機と、ロボットのデモ機が展示されていた。ロボットは高さ五十センチ、二メートル四方の舞台の上にいた。二台はこの家電量販店の店員名札を付けていて、それぞれ「ちょこ」「れもん」という名前がついていた。ちょこの方は褐色の顔、焦げ茶の洋服、れもんはちょこより薄い肌で、ビビッドイエローの洋服を着させられていた。ちょこは舞台の脇にある充電ポットに背中をぺったりと付けて目を閉じていたが、れもんの方はアクティブな状態で、私達を認識すると「きゅいきゅい」と音を発しながら近づいてきた。おばけのような、ペンギンの羽のような手をパタパタしている。

「わあ、あったかーい」彼女は早速れもんを抱っこしている。

「え、あったかいの? この子」

「うん、めっちゃ気持ちいい。抱っこしてみなよー」

 彼女かられもんを受け取って腕の中に収めると、内側からじんわりと温かい。小型犬よりやや軽いくらいの重さで、負担にはならないが、しっかりとした存在感がある。パソコンだって放熱するのだから、ロボットも動かすと熱が出るということなのかもしれないけれど、体温を模しているようにしか思えない。

 舞台にそっと下ろすと、れもんは目をぱちくりさせ、私達を上目遣いで見、またパタパタと手を振った。舞台前面に貼られた、手作り感のあるラミネート紙には、両手をあげたれもんの写真と「これがだっこして欲しいポーズ」というコメントがあった。私はさっき下ろしたばかりのれもんの両脇に手を入れ、持ち上げて胸元に収めた。友人が意外そうな顔をしている。確かに、私よりも友人の方がこういうのは好きそうだ。

「これ、反則だね……」

「うん。でも値段も反則レベルだよ」

 確かに、可愛いから買おうと簡単に思える値段ではなかった。「まあ、ペットを飼うよりは安上がりなのかな」私の言葉に頷く彼女の腕の中には、いつの間にかちょこが収まっていた。

「ちょこの方が大人しいみたい」

 大人しいと言われたちょこは、半目を閉じてうっとりした表情だ。確かに、れもんはだっこされても舞台上を歩いていても、絶えずきゅいきゅい、ぴゅいぴゅいという、ビープ音のような、何かの動物の鳴き声を模したような、なんとも言えない音を立てているが、ちょこの方は無言で手をぱたぱたやるだけである。

「個性が出るのかなあ」

 パンフレットを読めば、予め個性を設定できるのか、あるいは育成環境によって性格が変わってくるのか書いてあるのかもしれない。でも、ドライヤーですら一番下か二番目くらいのものしか買えないのに、三十万円以上するこれを買う余裕が私達にあるはずもない。私はれもんを舞台に下ろした。温もっていた胸部が急に冷えたように感じる。れもんは舞台の枠ギリギリのところで、私の方をじっと見ていた。

「じゃあねー、れもん」

「ばいばーい。またね」

 私が一メートル、二メートルと舞台から離れて行っても、れもんは微妙に角度を調整しながら私の方を見続けた。私はしばらく振り向きながら手を振っていたが、他の客に遮られてれもんの姿は見えなくなった。あんな風に、日々刹那の出会いと別れを繰り返しているれもんは、どういう性格に育つんだろう。

「後ろ髪ひかれてるー」

 友人がおかしそうに私の方を見ている。

「だってさー、あの子たち、飼い主が現れない子猫みたいなんだもん。もしくは動物園の動物?」

「そう見せるなんて、すごいプログラミング技術だよねー」

 友人はさらりと言った。もっともなコメントだったが、私はなぜだか傷ついていた。

「……ほんとだね。まるで生きてるみたい」

 そう相槌をうちながら、私は、れもんがデモ機としての役割を終える時のことを考えていた。データを初期化し、洋服はクリーニングされて、「展示品のため」と割安な値段をつけられて、どこかのお家に貰われていくんだろうか。初期化という選択肢があることは、果たしてれもんにとって幸せなことだろうか。他の電気機器だと、初期化しても、出荷時とまったく同じには戻らないような感じがするけれど、れもんはどうだろうか。

 大体、「れもんにとっての幸せ」ってなんだろう。彼女の言う通り、れもんはただのプログラムなのに。私が余計なことを考えたのは、れもんの「体温」のせいかもしれない。


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紅茶と蜂蜜
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