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個人の感覚

 私の新しい携帯は、色々な情報を勝手に教えてくれる。正直ありがた迷惑だし、扇情的なタイトルにつられてサイトを開いてしまい、タイトルに偽りありだったということも大いにあって悔しい気持ちになる。
 そうやって携帯に唆されて読んだ記事の中に、少し前にバズったらしい漫画のまとめ記事があった。内容を簡単に説明すると、聴覚障害者である作者が、日記を書く訓練をしている際、養護学校の教諭に「聴こえない」と書いた箇所を「聴こえにくい」と直しなさいと言われたのが未だに心に残っているというものだった。あれは他者からの黒い抑圧だったし、そこで自分の感じ方である「聴こえない」を押し通した幼い自分はグッジョブだった、と作者はまとめていた。

 バズったということだから、おそらく多くの人がこのことに共感したり、聴覚に限らず、障害者自身にしか分からない感覚を知ったつもりになってはいけないんだと思ったりしたんだろうなと思う。しかし私はどうにも釈然としない気持ちになったのだった。この教諭の指導は、本当に的外れだったんだろうか。

 この教諭はおそらく作者の担任であり、実際どれくらい作者が聞き取りづらいのか把握していたはずである。その情報によれば、やっぱり作者は「(全く)聴こえない」ではなく「難聴」だったんじゃないだろうか。幼い作者は「聴こえない」を否定されてショックだったと思うけれど、教諭も作者を抑圧しようとしてそうしたわけじゃなかったんじゃないかと思ったのである。

 これが健常者だった場合どうだろうか。たとえば、幼児は「うらやましい」と言うべき時に「ずるい」という言い方をよくするが、それを大人が「そういうときは『うらやましい』って言うんだよ」と指導するのは、必要なことで、非難されるようなことではないはずだ。「でも僕はずるいって思ったんだもん」と子供は言うかもしれないけれど、そこで言葉の用法を正さないと、大人になっても言葉を誤用してしまうし、言葉の誤用は思想の歪みにもつながるだろう。

 聴覚障害者の作者の「あなたは私の聞こえ方を知らないくせに!」という気持ちは分からないでもない。実際、他の人が身代わりになることはできない。ただ、それを言い始めてしまうと、障害がない人が「私の悲しさは『悲しい』という言葉でなんて到底いい表せられない!」と言い出すことも認めなければならなくなる。聴こえにくさと同様、その人の悲しさは誰も肩代わりできないのだから、『悲しい』の確からしさを検証できないからだ。そんな風に、障害の有無は関係なく、個々人がいい始めたら収拾がつかなくなると思うのである。
 そもそも言葉というものは、個々人の認識を揃えてコミュニケーションが取れるようにするための記号であり約束事だから、ある単語に含まれる実際の事物には幅があるものである。辞書でも、作った会社ごとに意味は少しずつ違う。人だって、一応同じ世界を生きているはずなのに、一人一人見ているものはきっとちょっとずつ違う。「私の『悲しい』は世間の『悲しい』と違う」と言うのは、乱暴に言うと、私だけはサッカーをバレーボールのルールでやりますって言うようなものだと思うのだけれど、障害者に対しては批判しにくくなるのはどういうカラクリなんだろうか、と思うのである。批判するとポリティカルインコレクトになっちゃうから? まあそう判定されるのは怖いよね。私もこわごわこの記事を書いている。

 この漫画がバズったのも国語教育の敗北なんじゃないかなあ、みたいなことをぼんやり思ったりするのである。(たとえ聴覚障害者という特殊性があったとしても)言葉という記号の約束事についてよりも、個人の感覚が優先されるべきという感覚の人が増えているのなら、日本の将来は暗いなあみたいなことを思うのである。前にnoteで、「国は論理的でない人が増えた方がいいんだ、そういう人はコントロールしやすいから」という記事を読んだ時のことを思い出す。

 まあ、こんなことに引っ掛かる私の感覚は、他の人とちょっと違ってるんだろうなというオチがついたところでこの話はおしまい。


 本文とまるで関係ないんだけど、「Torn」はナタリー・インブルーリアの持ち歌みたいになっちゃってるけど、本当はトリーネ・レインの曲なのになあって自分のことじゃないのに変に悔しい気持ちになる。私はこの曲目当てでトリーネのアルバム買ったからさあ。というわけで布教。アルバムの写真は深緑の眼が素敵な北欧系美白クール美女だったんだけど、このPVはなんかオリエンタルなメイクだね。

 驚いたことに、私はトリーネのアルバムを二枚も買っていたらしい。私は大学寮から就職で引っ越しする時にCDが入った段ボール箱を一個か二個紛失してるんだけど、そこに二つとも入ってたっぽいなあ。あ、年がバレるなあ。

 うん、セールス的には全然ダメだったんだけどね、このアルバム……。でも好きだったんだよ。

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紅茶と蜂蜜
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