「うかるて」感想
うかるて参加作品のうち、自作品を除くゴースト作品の感想です。
「るりのこと」
妹に瓜二つな彼女からの思いは、年若き乙女ゆえの早とちりなのか。
それはゲーテッドコミュニティ特有の狭い人間関係によるものかもしれない。
昔ならそういうこともありえたかもしれない。
しかし今では、彼女の可能性や未来を潰してしまっているかのように思えてしまう。
長い病院生活を彷彿とさせる語り口からは、諦観と希望が共存して語られる。
籠の中の小鳥はいつしか大空を見る時が来るのだろうか。
「宵待マイルーム」
風邪をひいて家に1人、平日の昼間の自宅というある種の異空間。
普段見る機会がないテレビ番組、じりじりと過ぎる時間、静かな雨の世界。
普段ならSNSをはじめとしたコミュケーションツールで誰かと繋がり、時間を共有するのだろう。
それらが断ち切られているために自分を中心とした思考の没入があり、アンニュイな昼下がりを感じさせる。
気力がわかないのは、体調不良か、あるいはやるべきことをやっていない罪悪感によるものか。
今は一日を無為にしたこの時間も、きっと未来になった時にふと思い出す大事な経験になるのだろう。
「黄昏サナトリウム」
ほとんどを夢の中で過ごし、徐々に活動時間が短くなってゆく中、現実感を喪失しつつある様子が見て取れる。
進行すればするほど、隔絶されたという思いはさらに強まっていくことだろう。
深海へ沈み込むように、普通の生活は彼女から遠く離れ泡となって消えていく。
大人しく聞き分けが良いように見えるのも、普通であることを諦めてしまった結果なのかもしれない。
完全閉じ込め症候群などと異なり、やがて訪れる時に対する恐怖が薄いということだけが救いだろうか。
「びょうきの娘ちゃん」
学校に行きたくないと病状を訴えるが、明らかに仮病で……という変わったアプローチの視点が面白い。
養育している側が無理に行くことを押し付けたり、問いただすことをしないため、微笑ましい空気感。
明日からはきっと気持ちを持ち直して元気に学校に行ってくれることだろう。
「餌付けしよ!神農氏」
中国史における医薬の神あるいはその氏族らしく、篤学者であるようだ。
しかしその実戦があまりにもぶっ飛びすぎており、もはや学問云々でなくリアクション芸である。
不死身? なのであれば、確かに毒キノコを食べて分析することもできるだろうが、苦しみは変わらない様子であり、マゾヒスト……いや他者との関わりも薄い以上やはり学究の徒でいいのかもしれない。
リストの前半は様々な毒キノコの図鑑と化しているが、後半はもはや何でもありになっており、やはりリアクション芸人なのではないか。
「芽差す思いは」
思い悩んだ末に変化する者は、それだけの葛藤を抱えているのだろう。
戻ったケースが少しだけということは、その悩みが解決していないことを意味しているのかもしれない。
人間には誰しも悩みや後悔があり、そしてそれは晴れることもなく、雪のように心に積もったままなのだろう。
顔というものは、本能的に美醜や優劣をつけてしまうものであるために、このような形で発現するのだろう。
この病が流行った先には、新しい価値観が生まれるかもしれないが、しかしその中でも悩みが尽きることはない。
きっとこの病は増え続け、顔だけに留まらないさらなる異形化も発生するのではないかと思わずにはいられない。
「あなたのための枯れた薔薇」
自らを痛めつける薔薇の棘、自傷と見られる痕跡なども含め、精神状態は良くなかっただろう。
おそらくこの病は繊細な精神であるほど発症してしまうのではないか。
彼が発病したのは、そのしわ寄せが自罰と自傷に向かっていった結果なのかもしれない。
自身が生み出すものも意欲も失われているようだが、リハビリを続ける気力はあるのは救いだろうか。
しかし致死性でありいつか脳に根が張ればそれまでであるため、長く生き伸びてつけられたあだ名も皮肉でしかない。
その自嘲気味な態度は生を諦めた者の苦悩そのものなのだろう。