タピオカミルクティーには人生が沈んでいる
最近ブームになった飲み物を知っているだろうか。好奇心旺盛にネットの海を冒険している皆様なら、いやテレビでさえも連日取り上げられているからご存じだろう。
タピオカミルクティーである。
茶色の液体に、黒い宝石のような個体が沈んでいる飲み物は、おそらく50年後は珍味として紹介されていそうな出で立ちである。今現在、このタピオカミルクティーよりも勢いのある飲み物を知らないほどだ。
今やカフェやコンビニで、新大久保で、至る所でタピオカ専門店が展開している様は、さながらブームに乗っかって稼がんとする資本主義の潮流を見ているかのようだ。
筆者も実際にタピオカミルクティーは飲んだことがあるし、味は好きな分類である。だがしかし、若い女性たちが狂ったようにタピオカに群がっている様に恐怖と畏敬を感じずにはいられないのも事実である。
現在、タピオカは甘い飲料だけでなく、麻婆タピオカや、いくらの代用として使われたり、タピオカのテーマパーク・タピオカランドなるものもできている。まさに日本列島は台風のみならずタピオカの渦に飲まれているのだ。
しかし、このブームにおいても、前例となる食べ物がなかったわけではない。1993年、ナタデココというココナッツの汁からできるデザートが大流行した。おいしくてヘルシーとのことで、マスコミが取り上げ、ファミレスでも提供されるようになり大流行を起こした。まさにタピオカを思い起こさせる過去のブームである。
その後ナタデココはどうなったか。ブームに追いつくため大量生産用の工場が用意されたが、そのブームが終わりを告げると、多くの経営者が大損することとなった。タピオカも、多くの業者がブームに乗り込もうとしている今こそ、同じような結末に向かう可能性が高いとは感じないだろうか。
ティラミス、マカロン……多くのスイーツがブームを呼び起こしては、飽きたら時代に捨てられていくことを繰り返している。もちろん、そのことに対して苦言を吐くつもりではない、むしろブームが次から次へと変わるのは健全な消費活動の証である。
ただ、私は思うのである。タピオカミルクティーには人生が隠れていると。
ひとたび注目を浴びれば、過剰にもてはやされる。どんな変わり種を出しても受け入れられる時期がやってくると、調子に乗って次から次へ乱発しだす。乱発しすぎて飽きられる時は既に遅く、飽きられたのに気付かないまま勢いだけは前のめりで失敗を繰り返す。そして失敗を忘れたころに新しい成功が生まれる。
タピオカミルクティーに沈んでいるのは、ただのタピオカではない。甘いミルクティーの底には、吸い込まれそうな黒い塊がいくつも身を潜めている。喉を通っていく幸福感とは裏腹に、カロリーは高く摂り過ぎると体にもよくない。ミルクティーの茶色と、タピオカの黒のコントラスト。ここに、ブームに翻弄されるタピオカの喜楽と悲哀、そして人生の縮図を感じずにはいられないのだ。
※追記
この記事はタピオカミルクティーを飲んでいる時に思いついたのは言うまでもないだろう。筆者は黒糖入りのタピオカミルクティーが好きである。そしてタピオカを楽しむときにはコツがある。タピオカが最後に残ってしまわぬように前半戦でタピオカを多く消化していくのである。これにより液体を残したまま後半のタピオカの数を減らしていくことができ、勝利は目前である。この記事は、タピオカミルクティーに捧げる。