飽きてはまた、の繰り返し
僕は飽きっぽい。飽きっぽいので、いろんなものに手を出す。趣味の創作に関してだけでもゲーム、小説、漫画、ブログ、細かい所では診断メーカー(占いのようなサイト)、動画編集も試してみたことがある。
そして、このようにnoteにも手を出している。
飽きっぽいというレベルではない。ある時が過ぎると、地獄のように飽きが来る。1か月から3か月ぐらいが続く限度だろうか。どんなにハマっていても、ある日どうでもよくなる。
ハマっている最中は、人一倍熱中している。対戦ゲームではランキング入りするまでひたすらやり込み、小説では文庫1冊分を1か月も経たずに書き切ったこともある。体調を崩してまで10日で制作100時間のゲームを作った時もある。なのに、ある日突然飽きてしまうのだ。
理由はいまだに完全には分からない。
分からないなりに分析してみると、僕はある程度「成果」が出ると飽きてしまうタイプの人間のようだ。また「1か月」という期間も僕のキーワードらしい。
◆成果について
その1 ゲーム作りにおいても飽きっぽさは健在だ。2019年、僕はある脱出ゲームを公開した、すると、運良くランキングに載ることができた。そこで僕は何か満足してしまったのだろう。その後何作か公開するものの、現在しばらくゲーム製作からは身を置いている。
その2 同じく2019年、小説の1章、目標にしていた10万文字を達成すると、満足してしまったのだろうか、2章の途中で筆が止まっている。
その3 不定期で投稿していたマンガを思い出し、最近ようやく更新すると、ランキングの底に入り、なんだか満足している(まずいぞ)。
なんと底の浅い人間だろう(よく言えば短期集中型。何事もポジティブに捉えよう。むむん)
感覚としての「飽き」は、どう説明したらいいものか。「ある一定の成果が得られると、対象を理解した気になって、脳がそれ以上の新鮮さを見つけられなくなり、続けることを拒否し始める」という説明をするほかない。
これは困ったものだ、僕とて好き好んで飽きているわけではないから、一つのことを極めたい時とても困る性質である。こういう飽きっぽい人、他にもいるのだろうか。
最近は、大好きだったゲームでさえ、飽きの感覚が襲ってくる。モン○ターハ○ターライズも、200時間プレイしたものの、そこでぷつりと飽きてしまった。生涯ゲームを遊んでいたいと意気込んでいた幼少の僕はどこに行ってしまったのか。
(これはまだいい方で、ひどい時は買って30分ほどプレイすると飽きる。体験版でいいじゃん、それ)
勘のいい読者なら気づいているだろう、「そろそろ人生にも飽きるんじゃないか?」と。じっさい、僕はそれがこわい。その時を迎えるのがこわい。その時はきっと、大いなる絶望に包まれるだろう。
絶望し、飽きることにも飽きた時、その先のステージに進めていると信じたい。一周まわって悟りを開いていたい。そのためにも今、飽きの乗り換え電車でなんとか毎日を凌いでいるのが現状である。
僕は飽きっぽい反面、新しいものが好きである。noteも、ウ○娘も、SNSの新機能も、ウキウキで飛びつく。表裏一体なのか、等価交換なのか、分からないが、そうだとしたら、なんともまあ悩ましいタチだ。人間でいるのは、めんどくさい。
この文章を書くのにも飽きたので、ここで終わりにする。