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期待を手放せ

お読みいただき感謝です。E AND I CREATIONSの遠藤です。ちょっと自分を見つめる期間中として、お仕事以外の思考の整理にnoteを利用しています。

期待するということ

北京オリンピックですね。今テレビつけるとつい観てしまいます。やっぱりオリンピックであると『メダルへの期待感』がぬぐえません。どうしてもついて回ります。

しかし期待されることは、実際プレッシャーだと思います。人により期待のレベルが違います。日本人は「察する文化」なので余計に怖いです。

高コンテキスト文化と低コンテキスト文化

コンテキスト(context)とは文脈です。

人はコミュニケーションを取るとき文脈の意味を理解します。文脈の他にも⾮⾔語⾏動がコミュニケーションの割合が70〜95%占めるそうです。発した言葉と非言語の部分を理解することが、コンテキストを理解するということなのです。

1970年代に文化人類学者であるエドワード・T・ホール氏によって提唱された概念で、国や地域におけるコミュニケーションスタイルの特徴を表すものです。

  • 高コンテキスト文化=お互いが共有する情報が多いので、状況や文脈への依存が高い<日本・韓国・アラブ諸国>

  • 低コンテキスト文化=お互いが共有する情報が少ないので、状況や文脈への依存が低い<欧米・ドイツなど欧州>

簡単にいうと、
*高コンテキスト文化は「察する文化」
*低コンテキスト文化は「自分の意見をはっきり伝える文化」
ということです。

欧米や欧州は言語も多いし、移民の人も多いので、はっきり伝えないと伝わりません。しかし日本や韓国はすでに共有の文化があるので、多く語らなくとも伝わるのです。長年連れ添った夫婦が「あれ」というだけで伝わるようなことです。ダチョウ倶楽部の「絶対押すなよ!!」の真意は欧米の人には伝わりにくいようです。

期待を手放すこと

とはいえ、「察する文化」ではよく顔色を伺うとか、嫌われたくないという気持ちが生まれます。双方、察しているので期待はどうしてもズレます。これ言葉できっちり伝え切れば誤解も生まれないのですが、なかなかに伝え切る文化ではありません。

思い浮かべてください。

<子供への親の期待、彼氏・彼女への期待・夫・妻への期待>

これらの期待をきちんと言葉にできているでしょうか。もしも言葉にできて、双方の納得があって初めて期待してもいいのかなと思います。

さらに、期待されることは自分にとって決して本意ではありません。期待されたくない、話したくない、だから言わない・・・そんな気持ちでいること日々は、今でもキツイです。そして、別に期待されていなくても「もしかして期待されているかも」と自分にプレッシャーをかける日々とか真面目に卒業したいです。

期待はズレた未来があり、他人の期待に応える(応えたい)気持ちが発生するので、よろしくないです。

もう単純に「信じる」に変えましょう。そこにズレた未来は発生しない。期を待たれることはない!もう期待は手放します!

I believe E AND I CREATIONS


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