老いと死と。
厚生労働省によれば2020年の日本人の平均寿命は男性が81.64歳、女性が87.74歳。
すごい時代ですよ。80年以上生きる日本人が過半数らしい。
現在ギネスブックに載っている最高齢者はフランス人の修道女さん118歳、過去の最高齢さんは122歳。
人生が120年あるとしたら、60歳でやっと折り返しです。
とはいえ全員がそんなに生きるわけじゃない。
そもそも平均寿命に達する前に、だいたい半分は死ぬわけじゃないですか。
平均寿命は平均死亡年齢とは違うんで、この言い方はいまいちなんですけどね。。
そんでもって、永遠の命なんてものはない。
生きとし生けるものが死ぬとして。
自分が死ぬイメージってもてますか?
この辺も人によると思うんですけど、私はあんまり想像できません。
私が生まれてからずっと当たり前のようにいる私自身がこの世から失われること、想像するの難しいですよね。
そもそもこの世の中に死んだことある人なんていないわけで、経験談を聞けるわけもないし。
まあ、居なくなったあとのこの世のことは、昔からよく想像してましたけど(陰キャなので)
とはいえ、です。
だいたいの日本人は生まれて、成長して大人になって、いつの日か老いてそして死ぬ。
わけじゃないですか。
突然襲いかかるものは別として、多くの死は老いの向こうにあるもんだと思うんですよ。
老いってなんなんでしょうね、そういえばこないだ面白い話を聞きました。
多くの細胞機能や増殖能は年齢とともに低下し、高齢になると様々な細胞機能不全や創傷治癒遅延、造血能低下がみられる。
そこには細胞増殖を抑え細胞死を誘発する因子が関わっていて、生理的にその物質が分泌されるのは発癌リスクを下げるためとも考えられる。
傷を治すだとか血液を作るときのエラーは年齢とともに起きやすくなる。
細胞増殖を抑えるホルモンの働きでエラーを抑え込む機構がある。
結果として高齢になると骨粗鬆症だとか傷の治りが悪いとか、貧血傾向になってしまう。
つまり、老いと共に出てくるこれらの症状は自分を守るために出るものだということ。
このエラー防止機構が過度に進行してしまうから不具合が出るわけだけど、そもそもそんなに老いるほど長く使うつもりがないから、老いに悩まされるのかもしれませんね。
80歳における白内障の罹患率は驚きの100%です。
少なくとも水晶体は、80年使える代物ではない。
他が使えるとか御託はいいんです。
ひとつだって明らかに使えなくなるものがあるなら、それが想定された体の寿命だって私は思います。
だって留め具が嵌らなくなったトランクは、修理ができないのであればそれが寿命でしょう?
ひとのからだを使い続けるのに、80年というのはちょっと、長すぎるってことじゃないかな、これがいいとか悪いとかって話じゃなくて。
少なくとも老化の結果骨粗鬆症や貧血になったり、癌が出やすくなるのは想定外にひとが、長生きだからなんでしょうね。
自分の老いとともに、死を意識するひとはきっと多いのだと思います。
歳をとっているひとはよく、「私は家でぽっくり死にたい」なんて、望ましい死に方を言ったりするし。
当事者から遠くなればなるほど、老いを認識できなくなる、というのもよくある話でして。
遠方の家族ほど、「そんな老いているはずがない、死ぬはずがない、死ぬのは病院の怠慢だ」なんて言うもんです。
先程、生まれてから欠けたことのない自分自身の喪失を考えるのは難しい、なんて話をしました。
同じように生まれてから欠けたことのない親の喪失なんて考えたことの無いひとはたくさんいるだろうし、我々は彼らの老いを厳密に実感はできません。
共に住んでいなければ尚更でしょう。近くに居ても受け入れられないことだって、もちろんあります。
そういえば、多くの中高年は、「死ぬ時は家で死にたい」と言います。過半数です。
でも、実際家で看取られるのは1割、病院が8割程度です。
もちろん「思ったより苦しくて本人の希望で病院に駆け込む」ってこともあるんですが、身近なひとが一縷の望みをかけて、本人の希望でないにもかかわらず病院に送ったまま帰宅できなくて……というパターンも多い印象です。
さて、話が広がりすぎました。要約します。
ひとは皆いずれ死ぬし、人間はそもそも今みたいに長生きするようにできていないはず。
いつ死んでもおかしくない段階でも、自分や、それ以上に家族が死ぬことを受け入れられない人は多い。
結果として本人の希望を汲まずに死を迎えることも少なくない。
わけです。
でも折角長生きしてもういつ死んでもおかしくない年齢になったのなら、死に方くらい考えてみてもいいんじゃないかな。
せっかく考えたなら、そうできるような準備もしておきたいですね。
いつきてもおかしくないから、いつでも可能な限り望ましい終わりを迎えられるように。
文字が書けるうちに、声が出るうちに、自分の頭で考えられるうちに。
死の間際には、意識が朦朧として希望を口にするのは困難なことが多いでしょう。
だから元気なうちにしっかり考えて、明確化して、意思表示をしなければなりません。
この記事を読む年代のひとが「考えよう」って思うことはあまりないと思うのですけど、身近にいる人に考えてもらうきっかけくらいにはなってくれないかな。。
なかなかお願いするのも難しいですけど。
「ねえ、もし具合が悪くてお話できなくなったとき、私はなんて言えばいい?」
とか?んー、、なかなかいい聞き方が思いつきませんけど。
ちなみになぜかうちの祖父母は、遊びに行くたびに誰に聞かれなくとも「私たちになにかあったらそれが寿命だから助けないでくれ」って言ってます。
それもちょっとどうかと思わんでもないのですが、お陰で親族誰もが把握しているので、まあいいのか。
その一言が、望み通りの未来にすすむ糸口になるかもしれませんし。
もちろん、「なにがあっても助けようとしてほしい」という希望だっていいんです。
希望を伝える、知っておくことが大事。そしてその選択は、関わりのある皆で共有するか、誰でも確認できるようにしておくことが大事。
誰にでもいつか訪れる死というイベント、対策しておいて損はないでしょう?希望なんて、あとからいくらでも変えられるわけですし。
遅くとも平均寿命を迎える前には考えておいてほしいものです。
希望も知らない家族に急に、あなたの命の行末を握らせるのはとてもとても残酷なことだから。
どうも、えあでした。
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