時をかける『100万回生きたねこ』の前前前世
「100万回生きたねこ」という名作絵本があります。
誰しもが名前は知っている、読んだことのある人も多い名作なので軽いネタバレは大丈夫だと思うので、以下に概要を書くと、
①何度死んでも生まれ変わるオスネコがいた。100万回生きて、100万回死んだ。
②オスネコは生き返るたびに世界のあちこちでいろいろな人生を生きた。
③オスネコはそれら過去の記憶を持ったまま毎回生き返った。
④ある時、オスネコは初めて誰にも飼われていないノラネコに産まれかわった。メスたちにモテモテだったが、オスネコは自分にしか興味がないので相手にしなかった。
⑤そんな自分に言い寄ってこない白いメスネコがいた。オスネコは過去の人生の自慢話を白いメスネコにするが、白いメスネコは全くなびかなかった。
⑥オスネコは白いメスネコにはじめて恋をした。二匹は結婚し、子をもうけた。
⑦おだやかな時間の末にメスネコは死んだ。オスネコは初めて泣いた。
⑧オスネコは死に、もう二度と生まれ変わることはなかった。
という感じの話です。
人生の意味を考えさせられる、とても素敵なお話ですね。
今日はこの素敵なお話を理系の腕力で分解していきましょう。
まずネコの飼育史について。
現在世界中で飼われている猫、いわゆるイエネコは、地中海地域が原産のリビアヤマネコが原種です。
リビアヤマネコが人に飼われだしたのは、出土品などの証拠から、約9千年前頃、農耕文化が始まった後だと考えられています。穀物庫を荒らすネズミを目当てにヒトの生活圏に入り込んだのが始まりと言われています。
9千年前というのは、石器時代の2~4万年前に狩猟のお供として家畜化されたイヌに比べてかなり遅いです。
次にネコの発達についてです。
ネコは生まれてから性成熟するまで、つまり大人のネコになるまでに約1年かかります。
寿命については飼い方によるところが大きいですし、本文中でも不意の事故で死ぬことが多かったので参考にできませんが、とりあえず「100万回生きた人生のほとんどで大人にはなっていた、つまり100万回の平均寿命は1年以上」と仮に設定します。
すると、100万回生きたねこが「死んだその瞬間に同じ時間軸に転生している」と仮定すると、「初回の人生は最後の人生よりも少なくとも100万年以上前である」という答えが出てきます。
これはネコが家畜化された9千年前どころか、ヒト(ホモ・サピエンス)が出現した20万年よりも前ですから、本文の内容(常に誰かに飼われていた)からも逸脱します。
以上から、「100万回生きたねこが死んだ後、生まれ変わる時間軸は自分の生前の過去や死後の未来や、今回の人生の時間軸に重複するなど、さまざまに分散してるであろう」という新たな仮説が産まれます。そうでもしないと100万回は家畜としてのネコの歴史(9000年)に収まり切りません。
え、でも個体数的には大丈夫なの?という問題が出てきますが、ご安心下さい、大丈夫です。
今現在ですが、世界中にネコは約6億匹いると推定されています。100万回の人生全てが現在の中でタイムリープしていても問題なく収まり切ります。
ということで、「100万回生きたねこは死ぬたびにタイムリープしている」という説が証明されたと思うのですが、もういちど本文を確認してください。
⑤そんな自分に言い寄ってこない白いメスネコがいた。オスネコは過去の人生の自慢話を白いメスネコにするが、白いメスネコは全くなびかなかった。
です。オスネコは毎回の人生の記憶を持って転生しています。
ネコは今でこそ6億匹いますが、物語の舞台には大航海時代や中世近世のヨーロッパを思わせる記述が多くあります。その頃のネコの総数はわかりませんが、世界人口は17世紀で約5億人、11世紀で約3億人です。現在のヒト/ネコ比で考えるとネコは17世紀で5千万匹弱、11世紀で3千万匹弱となりますが、産業構造が脆弱(要するにエサが少ない)で愛玩目的の飼育も少なかったことを考えると、実数はこの半分以下と考えるのが妥当でしょう。
となると、同一の時間軸に何度もタイムリープして転生しているオスネコは、一定確率で自分自身の前世や来世に遭遇している、という新たな問題が生じます。
しかも、前世のオスネコも、来世のオスネコも、現世のオスネコも、みんな「全て過去の人生の記憶を持っている」のですから、どちらか一方(100万回のうち未来に近いほう)は相手が自分だと気が付く訳です。
これがラストの白いメスネコのシーンで起こったら大混乱です。複数のオスネコが白いメスネコに言い寄り、同じ記憶の話を語り始めるという地獄のようなエンディングに陥ります。
が、作者もこの矛盾点には気が付いたのか、ラストシーン(ノラネコだらけの世界)には他のオスネコは登場しません。「はじめてノラネコになった」旨も明記されています。
作者はあえてそれまで転生とタイムリープを繰り返していた環境から「地理的に」切り離して歴史の衝突という潜在的な矛盾を回避していたのです。
いやー、論理的危機を見事にクリアした、実に奥深い絵本ですね。
ぜひ大切な人にこの絵本をプレゼントして、上述の話を添えてあげてください。
自己責任でお願いします。