藤田真央 ピアノ・リサイタル 《天衣無縫のピアニズム》 ミューザ川崎
新年最初のコンサートはいま最も人気のあるピアニストのひとり、藤田真央さん。国内のみならず海外でも様々なフェスティバルやリサイタルに招待されていたり、最近では日本人として初めてソニークラシカルとワールドワイド契約を結ぶなど真の国際派ピアニストという印象がありますが、インタビューやテレビ・ラジオで見せる天真爛漫なトークも魅力です。それゆえ「藤田さん」というイメージがなく「真央くん」とついお呼びしてしまう失礼をご容赦ください(笑)今回はそのキャラクターを良い意味で裏切るコンサートでした。
この記事はクラシック音楽初心者が、勉強がてらコンサートの余韻を味わう目的で残す、備忘録に近いコンサートレポートです。
プログラム
ショパン:ノクターン 第13番 Op.48-1
ショパン:ノクターン 第14番 Op.48-2
ショパン:バラード 第3番 Op.47
リスト:バラード 第2番 S.171 R.16
ブラームス:主題と変奏 ニ短調 Op.18b
クララ・シューマン:3つのロマンス Op.21
シューマン:ピアノ・ソナタ 第2番 Op.22
<アンコール>シューベルト : 3つのピアノ曲 D.946
公演日:2022年1月8日 (土)ミューザ川崎シンフォニーホール
藤田真央さん
2017年、18歳でクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール優勝。2019年には世界3大ピアノコンクールと言われるチャイコフスキー国際コンクールで第2位を受賞という、若くしてその才能で世界を席巻したピアニストさん。特にチャイコフスキー国際コンクールでも演奏したモーツァルトが世界中で絶賛されており、指揮者・ワレリー・ゲルギエフさんには「MAOの存在は、今回のコンクールの“サプライズ”だ」と惚れ込まれたのだそうです。その深い仲(?)がわかる真央くんのツイートやトークでは、どうやら自由な人・ゲルギエフさんの無茶ぶりにより、突然ロシアに呼ばれ共演することとなった抱腹絶倒な話も有名です(笑)
チャイコフスキー国際コンクールに入賞したときのニュース。
ゲルギエフさんのプライベートジェットに乗せてもらっている真央くん
最近は海外の音楽祭も無料配信されることも多くなり、スイス・ヴェルビエ音楽祭、ジョージア・ツィナンダリ音楽祭、そして今まさに開催されているフランスのラ・フォル・ジュルネなど、筆者もいくつか真央くんの勇姿を拝見することができました。前述のソニークラシカルとリリースする予定だというモーツァルトのピアノソナタ全曲集は昨年のスイス・ヴェルビエ音楽祭でも演奏されました。その時のインタビュー、誰も突っ込むことのない真央くんのボケを備忘録に残しておきたく(笑)
そのヴェルビエ音楽祭で披露されたモーツァルト
プログラムのテーマ
今回のリサイタルのテーマについて、所属事務所のオフィシャルサイトで以下のように語っています。
今回はショパンやシューマン、ブラームスなどロマン派の作曲家たちの作品でプログラムを構成しました。彼らの奥底から溢れ出す感情や、人生への深い想いを、楽譜を通して理解し、このプログラムが1つの大きな物語を描くように再現できれば・・・と日々勉強中です。
コンサートを最後まで聴いてみると”1つの大きな物語を描く”という意味がわかった気がします。また今回はここに書かれているように、同じ時代に活躍し、影響しあった作曲家たちの関わりにも注目してみました。
ショパン:ノクターン第13番、ノクターン第14番、バラード第3番
ショパンの中でも比較的ゆっくりふんわりとした印象の作品たち。筆者にとって昨年はショパン国際ピアノコンクールもあり、ショパンの作品をたくさん知ることができたことからいくつか聴き覚えのある曲でしたが、真央くんのリズムはどこか独特なものを感じました。若さを感じるようなところもありながら、優しく歌っているような印象。以前インタビューで「解釈が独特と言われる」と仰っていた真央くん。こういうことを言うのかと推察しながら、その無邪気さと優しさのバランスを興味深く聴いていました。
ショパンは先日の阪田知樹さんの記事でも少し触れましたが、この日のプログラムで後に続くリスト、シューマンとはほぼ同い年。互いに才能を認め合い、作品を献呈しあうほどの親密な仲でした。年表で見るところ、ブラームスは少し後輩になりますが、やはり同じ時代に活躍した同志ですね。
リスト:バラード第2番
筆者がイメージするところのリスト作品からすると、静かで華やかさはありつつもゆったりとした印象。真央くんといえば天真爛漫なモーツァルトや明るく楽しそうに演奏されるイメージがあり、また他の作曲家の演奏でもこれまでその独特なリズムというのでしょうか、歌い方というのでしょうか、つい音の流れにばかり注目していた筆者。今回の演奏を聴いて真央くんの音には癒しの周波数のような、何か大きな温かいものに包まれるような独特な包容力があることに驚きました。なんとなく無垢で透明感もある優しさで、真央くんは天の遣いなんだろうか?天使なんだろうか?とイメージが浮かんでいました。
リストにもバラードってあったんですね。バラードというのはショパンが創始したジャンル。親友であり音楽家としてショパンを尊敬していたリストの、ショパンに対する敬意から作られた作品と言われているのだそうです。
ブラームス:主題と変奏
後半も癒しの周波数を感じるような作品が続いたのですが、もしかしてそんなほわっとして眠りに落ちそうになっていたのは筆者の疲れが溜まっていたためでしょうか(笑)明るく楽しい真央くんの世界を味わいに来たつもりが、良い意味で手のひらで転がされた気分。その平和で温かい世界に没入しながらも、よく見てみると手は超絶技巧。演奏姿の真央くんの手は踊るように滑らかな動きで、鍵盤にビブラートをかけるように弾くのも印象的なのですが、この日もビブラートをかけているのが見えました。実際ピアノにビブラートをかけることはできないのではと想像するのですが、素晴らしい作品とその物語を歌い上げているのかもしれませんね。
バッハ・ベートーヴェンと並びドイツ三大Bのひとりに数えられるブラームス。その作風はドイツ的、古典的などと言われ、ベートーヴェンの後継者と呼ばれているのだそうです。意識してみると、筆者はその親しみやすくドラマティックなメロディにベートーヴェンを感じる気がします。
伝統的音楽を尊重する保守派なブラームスは、革新的な音楽を求めるリストなどの「新ドイツ派」と対立することになったといいますが、ショパンには「自分の練習曲を弾ける唯一のドイツ人」と評価されています。古典派を愛したブラームスでも前衛的なピアノ作品を弾いたのですね。真面目で頑固、いつも不機嫌な人として知られているブラームスですが、意外と柔軟だったということでしょうか。
リストとブラームスのふたりは次のシューマン夫婦を介して交流が繋がっています。
クララ・シューマン:3つのロマンス
念願の真央くんの軽やかで明るいメロディ。最後にポロンと跳ねるような音で終わるところは、筆者が期待するところの真央くんのイメージとぴったりでしたね。
ブラームスは20歳のころシューマン夫妻に出会い、その才能を絶賛され、当時すでに音楽家として大きな影響力を持っていたシューマンが創刊した雑誌「音楽新報」で紹介したことにより有名になりました。そんなシューマンはブラームスにとって恩人。その妻であるクララも当時、天才ピアニストといわれ人気を博していましたが、彼女の日記にはブラームスについて「彼もまた神から直に遣わされた天才」と残しているのだそうです。またブラームスとクララ・シューマンといえばシューマンの没後、親愛以上の感情を抱きながらも恩人への敬意のためか恋人関係になることはなかったという切ないラブストーリーでも有名ですね。この「3つのロマンス」も、第1曲を夫・ロベルト(シューマン)に、第2曲と第3曲をブラームスに献呈しています。クララもブラームスに感謝なのか、愛情なのか、何か特別な感情を抱いていたのですね。
クラシック音楽の世界で女性の作曲家は多く聞きませんよね。現代のように女性が社会で活躍できたとは思えない時代、やはり当時、作曲は男性がするものという考えが極めて強く、作曲家としては不当な扱いを受けていたのだそうです。それでも200年以上も名を残すことになったクララの実力と勇気に心打たれます。
シューマン夫妻と言えば、筆者がまず思い浮かぶのはシューマンが結婚前日に妻となるクララに贈った歌曲「献呈」。確かテレビ番組「題名のない音楽会」でのことだった記憶ですが、真央くんがこの作品を”いけ好かない!”と発していたのがおもしろくて印象に残っており、じっくりと盛り上げるのではなく、さっそく派手に愛情表現をする作風には共感できないようすでした(笑)
シューマン:ピアノ・ソナタ 第2番
シューマンはドイツ音楽に詩的な時代を作り、音楽教育や家庭音楽に新しい世界を開拓した立役者だといわれています。真央くんが表現する詩的な音楽の世界が素晴らしいものでした。
ブラームスと出会った頃、すでに有名な音楽家だったシューマン。ブラームスは自分の作品を聴いてもらおうと郵送するも、封も切らずに突き返されたというエピソードがありますが、ついにシューマンの前で演奏をすることができたブラームス。その作品に深く感動し、前述の音楽雑誌でシューマンは彼をこう紹介し、これをきっかけにブラームスの才能が世に発見されます。
そしてその人物は表れた。生まれながらにして英雄と、美と優雅の三女神グラティアに見守られた若者であった。その人はヨハネス・ブラームスといった。
ちなみにシューマン宅を訪れたときのブラームスは汚れたバックパックを背負っていたのだそう。家族の経済状況が厳しかったブラームスですが、シューマンは家に招き1ヶ月滞在させたといいます。今から200年も前にバックパックがあったことも驚きですが、今でいうバックパッカーの先駆けかと思うと、親近感を覚えます(笑)話は逸れましたが、こうした縁でシューマンはブラームスにとって救世主のような存在であり、は音楽だけでなくシューマンの家族を一生面倒見たブラームス
ブラームスはシューマンに出会う前にリストをも訪ねており、作品を見せに行きながらも「その場で何か弾いてみなさい」と言われ、稀代のヴィルトゥオーゾの前でピアノを弾くことを躊躇ってしまい、結局何も弾かずじまいになってしまったという話もあります。気後れしてしまったリスト、封筒を開けてすらもらえなかったブラームス、デビューまでにいろいろ苦労しましたね。
この日、筆者は3階席だったのですが、どんな小さな音でもはっきりと聴こえてくるのを不思議に思っていました。これは真央くんの技なのか、それとも音響が素晴らしいと言われるミューザ川崎のホールなのか。真央くんの手元を見る限り、限界まで小さく弾いているのではと思われる音がホールの隅々まではっきりと聴こえている。そのまろやかで心地の良い繊細な音はどこに跳ね返って聴こえてくるのか、天井の存在感ある反響版のナミナミか、サイドの壁のナミナミか、不審にキョロキョロしていたかもしれません。(波状なのは関係あるのでしょうか)
<アンコール>シューベルト : 3つのピアノ曲
3つのピアノ曲、3つすべて演奏してくださるという大スペクタクル!アンコールというよりソナタ丸ごとの第3部というような長さでした。ベートーヴェンを敬愛し、古典派とロマン派の懸け橋となったシューベルト。作曲家たちの関係はアンコールまでもつながりがありましたね。
真央くんというとステージにふわふわっと歩いてきてゆるゆるっとお辞儀をして胸の前に握ったタオルをピアノに投げこむように置く(笑)のが個人的になんとも愛おしく拝見しているのですが、この日はカーテンコールで真摯に深々とお辞儀されていたのが印象に残りました。
最後に
お互いに音楽性を尊敬しあったロマン派の音楽家たちの作品、そして全曲を通して一貫した空気感があり、真央くんが意図した”1つの大きな物語”というものが見えた気がしました。若い、若いと思っていた真央くんの終始落ち着いた癒しの音で、天から抱かれるような、逆に大人もしくはそれ以上、年齢を越えた異次元の存在に心身を委ねてしまうようなひとときでした。音楽的にも人物的にも奥深い方なのかもしれませんね。できれば天真爛漫トークも聞きたかったのですが、それはまた次回のお楽しみにしておきます。
出典
プログラム 神奈川芸術協会(当日配られたもの)
「クラシック作曲家列伝」やまみちゆか 著 マール社
「音楽家の食卓 」野田浩資 著 誠文堂新光社
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