見出し画像

職場で出会った彼との過ち その2 ジム編

こんにちは。ツミキです。

もう一人、こちらは以前に占い師の仕事をしていた時に運命を見させていただいた方のお話です。

お話を伺ったとき、自分の経験と重なるところがあると感じました。
その時は別媒体でコラムを書いていましたが、今回こちらのnoteを本格的に始めるにあたって記事の移転の許可を頂いたのでどうぞご覧いただけたらと思います。

それではBさんのお話です。

私は四十歳。スポーツジムの受付カウンターでパートとして働いている。

表面上は笑顔を絶やさず、「いらっしゃいませ」「お疲れさまでした」と会員さんを気持ちよく送り出すのが日課だ。

彼の仕事を手伝うこともあるが、そのときはあえて意識しないようにしている。

目を合わせてしまうと、胸の奥がちくりと痛む気がするから。


夫とは長いこと一緒にいる。
結婚したのは二十代後半だった。

あの頃は、早々に子どもを授かってにぎやかな家庭を築くのだと思っていた。

けれど、なぜか私たちは子どもを授かることができなかった。

不妊治療も試した。

何度か病院を変えて、薬を飲んだり注射を打ったり、根気強く通院を繰り返した。


でも、その先にあるはずの夢は、私の目の前には形をなさなかった。
そんな経験を重ねて、私はいつの間にか四十代に突入していた。

夫は、子どもが生まれなかったことを表立って責めるタイプではない。

けれど「やっぱりうちには縁がなかったんだよ」「もういい歳なんだし、あまり無理しないで」と言う声には、どこか私の人格をやんわりと否定する響きが混じっている。

夫に悪気はないのだろう。

だけど、私にはときどき「君は母親になる資格がなかった」と言われているようにも感じられるのだ。

もちろん、そんなことを実際に口に出したことはない。
けれど、夫の視線やため息、そして結局“子どもがいない”という現実から逃げている私の姿が、そう思わせるのかもしれない。

子どもが欲しくて、努力もして、それでも得られなかった結果に、私はいまもまだ踏ん切りをつけられないでいる。

年齢的にもこれ以上は厳しいのだろう。

周りからは「もう諦めてもいいんじゃない?」と優しい言葉をかけられることも増えた。

でも、自分の中で「そうだね、子どもはもう無理か」と納得できたわけではない。

だからこそ、日々の生活の中で自分の存在意義を見つめ直すようになった。

子どもを持つ母親でなければ、私はどんな顔で人生を楽しめばいいのか。
そんな戸惑いを抱えながら、夫のいる家に帰り、夫と食卓を囲んでいる。

スポーツジムでのパートの仕事は、私にとって忙しさを紛らわせる手段でもあり、自分の中の渇きを埋める場でもあった。

会員さんがトレーニングに励む姿を見ていると、「私も頑張らなくちゃ」と思える。

働いている時間は、あれこれ考えすぎずに済むところがありがたかった。

でも、そんな私の姿を変えてしまったのが、彼――三十歳の正社員トレーナーだった。


初めて彼に会ったのは、私がこのジムに勤め始めて二年目のこと。

彼はまだ若いのに、トレーニング理論や栄養学に詳しく、会員さんからの評判がとても良かった。

テンポよく指導しているのを見ていると、自然と周りに活力が生まれるような、不思議なエネルギーを纏っている人だと感じた。

もちろん、私は既婚者だし、単に「すごい人だな」という感想で終わるはずだった。
それがいつからだろう、彼の言葉や表情が、私にとって特別な意味を帯びるようになったのは。

私がカウンターで会員さんの受付をしていると、ふいに彼が近づいてきて「いつもありがとうございます」と声をかけてくれる。

あるいは筋トレマシンの配置を手伝っているときに、「無理しないでくださいね」と言いながら気軽に荷物を持っていってくれる。

そんな優しさは他のパートさんにも平等に向けられているものだと思っていた。

けれど私にとっては、それがとても温かい光のように感じられたのだ。

家では夫の厳しい目線に晒されている私にとって、彼の言葉は不思議と心を包み込んでくれる気がした。

やがて、彼も私が子どもを持っていないこと、そして長年不妊治療をしてきたことを知るようになった。

会話の流れで、ぽろりと私が「もう四十歳になったし、そろそろ諦め時かなって思ってるんだけど……」とこぼしてしまったとき、彼はまるで共感するように頷きながら、「辛いですね」と低い声で言った。

そのとき、私の心の奥底で、何かが静かに溶けていくのを感じた。


家では“ごまかしている”という思いを抱えたまま笑い、周りには「大丈夫ですよ」と強がるばかりだった私に、真正面から「辛いですね」と言ってくれる人がいる。


その当たり前の優しさが、まるで大きな支えのように感じられたのだ。

そこからはもう、坂道をころころと転がり落ちるよう、私は彼に惹かれていった。

ジムが閉店するとき、彼が帰り支度をしている傍らで「お疲れさまでした」と声をかける瞬間が、やけに胸を高鳴らせる。

彼もまた、私が子どもの話を笑って強がりながらも、実は傷ついていることを知っているようだった。

ある日、「Bさん(私)は、いつも頑張りすぎじゃないですか?」と言われ、思わず「そうかもね」と返したあと、涙がこぼれそうになった。

どうしてこんなに自分が楽になっていくのだろう。

夫にさえ理解してもらえなかった“私の苦しさ”を、そのまま見つめてくれる彼がいる。

その気づきは、私にとって逃れがたい甘さだった。

やがて私たちは自然と二人きりの時間を持つようになる。

仕事上の相談と言いながらスタッフルームの片隅で少しだけおしゃべりをする。
トレーナー業務の忙しい合間、彼がごくわずかな休憩時間を利用して、私のところにやってくる。

そのたびに「本当に大丈夫ですか?」と問いかける彼の声が、まるで音楽のように心地よかった。

そんなやりとりを重ねるうち、私の中ではっきりと一線を越えたい気持ちと、理性で必死に抑え込もうとする気持ちがせめぎ合い始めた。

もしかしたら彼だって、私が既婚者であることを認めつつも、どこかに特別な思いを抱いてくれていたのかもしれない。


ある日の閉店後、私はスタッフルームで書類をまとめていた。
彼がやってきて、「もうすぐ消灯しますよ」と小さく囁いた。その声に顔を上げると、彼の目には真剣な光が宿っているように思えた。

「何かあったの?」と問うと、「いいえ、ただ……Bさんがまだ帰らないから」と不器用に微笑んだ。
気づけば私の胸は大きく波打っていて、彼がいるだけで呼吸が苦しくなる。

その日は特に何も起きず、私は「ありがとうね、そろそろ帰るね」と言い残してジムを出た。

でもその帰り道、夫の待つ家へ向かう足取りは重かった。

夫が私の帰宅を待っているとは限らないし、待っていないからこそ気楽にすべきなのに、妙に心がざわつく。

寝静まった部屋に戻ったあと、洗面所の鏡を見つめてみる。

そこには疲れた四十歳の私がいるだけだ。

だけど、一瞬だけ、あのままジムに残ったらどうなっていただろう……そんな考えが頭をかすめる。

背筋がうすら寒くなるような誘惑だった。

数日後、夜のシフトが終わる頃合いに彼がいつになく落ち着かない面持ちをしていた。

「どうしたんだろう」と思うと同時に、私のなかでも何かが弾けそうな予感があった。

そのとき、彼は声を低くしてこう言った。「ちょっとだけ、いいですか」

ドキリとする。

スタッフルームの電気が半分落ちかけた暗がりで、私たちは二人きりになった。

そこには戸惑いと焦燥が入り混じった空気が流れていて、何も言わなくてもお互いの気持ちがわかるような、そんな切迫感があった。
彼の視線は真っ直ぐで、私は思わず目をそらせないまま、その場に立ち尽くした。

たぶん、あの一瞬が限界だったのだろう。

彼が私の手をとって、ほんのわずかに引き寄せたとき、私は自分の心が爆発するような感覚を覚えた。

夫から否定されるような気がしていた自分の存在を、彼が抱きとめてくれようとしている――そんな錯覚に、ほとんど身を委ねそうになった。

でも、次の瞬間「これはいけないことだ」という理性が、強烈な力で私を引き戻した。

そう、それでも私には夫がいて、彼を裏切ることになる。

しかも私は四十歳、彼は三十歳。あまりにも多くのリスクが脳裏をよぎり、私は思わず彼の手を離していた。

無言の時間がしばらく流れた。

私の目には涙が浮かんでいたかもしれない。

彼も何か言おうとしたが、結局、苦笑いのような表情を見せただけだった。

「すみません」とか「大丈夫です」とか、はっきり覚えていないけれど、互いに傷口を深くしないための言葉だけを交わして、私はスタッフルームを飛び出した。あの夜、私は文字通り逃げるようにジムを後にしたのだ。


それ以来、私と彼の距離は変わった。

以前のような親しげな会話は、どこかよそよそしいものに変わってしまった。

必要最低限の業務連絡はするけれど、それ以上の個人的な話題を交わすことはなくなった。

それが私たちなりの精一杯の“正常化”なのだと思う。

ただ、ふとしたときに、あの夜の暗がりを思い出す。
あと少し、踏み込んでいたらどうなっていただろう。

夫にも言えない本当の気持ちを、ひとときだけでも解放してみたかった――そんな未練が、今でも私の胸の奥を軋ませるのだ。


夫との生活は相変わらずで、子どもの話題が上がれば「もういい歳だし、無理するなよ」とあっさり切り捨てられる。

彼のいる職場には変わらず通っているけれど、以前のように温かい光が射し込む感覚は、もうほとんどない。

けれど私は、この道を選んだのだから仕方がないと思っている。

あの夜、どちらか一方が少しでも強く求めていたら、今ごろ私は取り返しのつかない後悔を抱えていたかもしれない。

あるいは、もっと満たされた幸福に包まれていたかもしれない。

でも、そのどちらでもないまま、私は淡々と“母になれなかった妻”としての毎日を過ごしている。

四十歳になったばかりの頃には、もっと新しい世界が開けてくるかと思っていた。

それが実際は、子どもを持てず、夫との関係にも息苦しさを感じ、この年下のトレーナーにほんの少しの間だけ、心を救われようとしただけだった。

それでも、あの“一度きりの過ち未遂”は、私にとってひとつの分岐点だったように思う。

もしあのまま一線を越えていたら、私はもう二度と元には戻れなかっただろうから。

いまはただ、あの夜を思い出すたびに、自分の弱さと同時に、最後には踏みとどまる強さも持ち合わせていたのだと知る。


そんな自分を、少しだけ愛しく思える。
これでよかったんだ。
なんどもなんども自分に言い聞かせる。


彼とは、もう親密な会話を交わすことはないだろう。

スポーツジムの隅で、トレーナーとして輝いている彼を見るたびに、「ああ、この人はたぶん私にとって特別な存在だったんだな」と胸の奥がきしむのを感じる。

でも、私の人生は続いていく。

望んでいた子どもは得られなかったが、夫との関係を簡単に壊すつもりもない。

そうやって、日々のささやかな仕事や家事をこなしながら、私は四十歳という現実に向き合い続けるしかないのだ。


一度だけ、あの夜の終わり際に、何か言いたげに唇を動かした彼の顔が、ふと脳裏に蘇ることがある。あれは何を言おうとしていたのだろう。

「やめましょう」とか

「ごめんなさい」だったのか。

それとも、

「このまま一緒に逃げ出そう」とか

「大丈夫、僕が受け止めます」だったのか。

今となっては誰にもわからない。
ただ、それはきっと、私が人生のどこかで失ってしまったかもしれない可能性の象徴のように思えてならない。


けれど、もう後戻りはできないし、する気もない。


職場の床を磨きながら、受付で笑顔をつくりながら、私は生きていくしかないのだ。


子どもが欲しかった気持ちは、どこかでまだくすぶり続けている。


でも、その痛みは、あの夜の記憶とともに、これからも私が抱えていく“人生のかけら”なのだろう。


少なくとも、彼がわずかな時間でも私を救い、受け止めようとしてくれた事実は、慰めでもあり、罪の意識でもある。

それを一人で胸に秘めながら、私は今日もまた、スポーツジムの片隅で、はにかんだ笑顔を浮かべる会員さんに「いらっしゃいませ」と声をかけている。

ほんの少しだけ苦さを滲ませながら。



お読みいただきありがとうございました。
共感していただける方、スキやコメントで応援お願いいたします。

このnoteは心に抱えるものがある方が楽になれる場所にしたいと思っています。
どうぞ優しいお声がけをお願いいたします。

いいなと思ったら応援しよう!