『私が、断薬した理由。~②回目&…』
こんにちは。『感謝、kaihou、愛、アラレ。』です!
暑い!!蝦夷地とは思えない暑さ34°Cダベサ!!!w
さっきプリンソフト食べて帰宅→温かいルイボスティー腸に流し込んだー!!!(‥夏の腸活w)
皆さまも、ご自愛くださいネ♪
そんな中、今日もスキやフォロー、
ありがとうございます(^_-)-☆
とても励みになります♬今後ともよろしく
お願いいたします!
したっけ、今日の愛(アウトプット)はコツラ
↓↓↓
○『私が、断薬した理由。➁回目』~身も心も、もう限界や!!!
昨日のnote=①回目は『3年2カ月で大腸切除!と言われ、ゴングがなった!』のだが、
その医大病院で最期の入院時、
なんと同部屋にいた年配のお姉さまから
凄い情報を聞いてしまった。
“「大阪で中国古来の漢方生薬で治療、大腸切らずに病気治した」
っていう遠い親戚がいるんだけどサ、、アンタ!!!
まだ若いんだから!切らない方法、探しなよ!
切っちゃダメだ!!!と半ば怒ったように、言われた。
で夫とネットで探しあて、入院病棟の主治医が
しぶしぶOK!
ただ、某漢方内科は外科手術が出来ない。
万が一の時は医大に戻り手術してもらう旨確約し、資料を作り送り出してくれた。
後にも先にも、このdr.には今でも感謝している。寛大!
今振り返っても、漢方内科に近く頻繁に通院出来ていたら
(もっと注意深く経過を診て貰える状況なら)この後出てくる
「ぶどう膜炎」「両眼の白内障」や「壊疽性膿皮症」にも、ちがう対処や治療が出来たのかもしれない。クラススイッチで
出てきてくれたこの3つの病(副作用)を私は、漢方内科の治療で治すことが出来ず、
札幌の(眼科、総合病院)西洋医療で治療する
しかなかった。正直、治療費が半端なく高額で、お金も根も尽きそうだったから、神様が強制終了してくれたのかもしれない。
当然、ステロイドを大量投与し→大腸悪化→
足に壊疽が出てきて救急車搬送、ICU2週間と2カ月半の激痛壊疽治療で入院せざるを得なくなった。当然大腸も悪化しており、
5人の医師や看護師に囲まれ、「壊疽を治したかったら大阪じゃなく、ここのIBDで治療してください。でしたらその壊疽を治しましょう」と言われた。
とにかくもう絶体絶命である・・・。
こうして私は再度、劇薬・大量プレドニンや
ステロイド治療をし、
みるみるうちにまたもや「プレドニン肥満、
ムーンフェイス女」となった。最悪だ。
相当な大金と命を懸け毒出できたのに・・。
もう暫くは、ボロボロ泣いた。
一体、あたしは何してんだ?と・・。
それに、壊疽(えそ)って、何・・?
何で・・・?
自分が腐っていくって・・、しかも両脚。
完全に、やらかしてるだろ。
いいかげんにしろ!ってこと?
日本の医療って、「ホントに治す」って、
どういうこと?
でも外科でないと、眼だって手術しないと
ダメだったし。。
大腸切らなかった、罰・・?
でも「まだまだ!切らなくて全然大丈夫!」て
言われたしな。
でも間違いなく、、
「漢方治療」は「強制終了」となった。
そんなことだけを考えていた。
これって、凄い経験してる。ある意味、凄いよ!
映画作れるワ!私の波乱万丈人生!
なんて・・。
で、漢方治療にはもう、戻らなかった。
し、戻れなかった。
お金が、、莫大なあの治療費が、もう
出せなかった。
とにかく心も身体も、ボロボロだった。
この後、3か月弱で退院、歩けるようになり、
運転もできるようになり(暫くは「むくみ痛」で、短時間)
自宅で自分で施術訓練をしつつ、
形成外科とIBDセンター、眼科、婦人科に
お世話になる。
またもや私は、『たった今』の自分を生き抜くため、
『瞬間瞬間の』私をなんとか生き抜くため、
劇薬を飲んだ。
そこから3年ほど、相変わらず私の大腸には
「寛解」が来ず
一年スパンで新薬に変更し治療していた。
入退院を繰り返し、
プレドニン依存、大腸カメラは『飲むカプセル
内視鏡』にトライしたりして、製薬会社サンに
協力したりもした。
(あれは二度としない!ww)
3年を過ぎたころ、主治医がいつになく笑顔で
「これ試してみようか!副作用も少ないし・・」と
『ステラーラ』という注射治療を、勧めてきた。
○寛解維持薬『ステラーラ』が効いた!~よし、チャンスや!!!!!
と、続きます!
が、今日はここまでにします。スミマセン!
本日もお読みくださり、心から感謝申しあげます( *´艸`)
スキやフォローも、たくさんありがとうございます☆
皆さまの夏が、noteが、たくさんの幸福で溢れますように♪♪
いつもありがとうございます(^^)/
合掌。。。