特別な存在になりたかった
私がスピリチュアルと関わりだしたのは特別な存在だとどこかで
自分のことを信じていたからです それを証明したかったのです
それだけ欠乏感が強かったのです
今、内観ワークを通して感じていることは
その欠乏感が誰よりも強いことです
執着が強く偏った考えから抜けられず未だに苦しんでいます
内観で知ったことは親子関係が悪かった私は父から嫌われ
私も父を憎み父親に対する感情もありませんでした
父が亡くなったとき
涙の一つも出ず「ご苦労様」とあいさつしただけでした
私の中では父に対する感情は処理できており違和感なく送り
出せたと信じていましたが残念ながらそうではありませんでした
私は強烈に父親からの愛情を欲していました
「愛して欲しい」「受け入れて欲しい」「認めて欲しい」この思いが強烈に自分の中にあったことに気が付いたのです
瞑想したりノートに父に対する気持ちを書きある程度解決している
と信じていましたが まったく解決はしていませんでした
この欠乏感が私のエゴを強め考えを歪め執着にまでしていたのです
わたしのこの欠乏感は父だけでなく母の愛情不足もあります
ゆえに家庭以外でもうまくいかずどこに行っても愛を求めていました
その愛を外側に求めても苦しい状態が続き欠乏感がさらに強化してしまった
のでしょう
「愛して欲しい」「認めて欲しい」「受け入れて欲しい」が強固になって
特別な存在になって世間から認めて欲しかったのだと理解しています
私の場合、その思いが強すぎて特別なものに憧れたのでしょう
内観をしていくと色々な自分を見つけます
「守りたい」という強い思いがあることも知りました
父が母に暴力を振るい母はよく泣いていました
それを見て「弱者を守るのが普通だろう」という思い込みが強く
刷り込まれています ですから弱いものをいじめる行為を聞いたりすると
赦せない感情が湧きあがります この「守りたい」は自分自身にもあてはまり過剰に自分を守ることにも繋がっています
その行き過ぎた感情を観察していくと「殺される」という感情が隠されていたことに気が付きました
それは昔、父がお酒で酔い家族と争い怒りが抑えられなかった父は
包丁を持ち出し私たちを殺そうとしたことがありました
そのことは私自身あまり覚えてはいませんが きっとその時の恐怖が
潜在意識の中に刷り込まれているのでしょう
自分のことを守らないと「私は殺されてしまう」と信じていることを知りました ですから人から攻撃されていると感じると防御態勢に入り批判や自己正当化などで自分を守ろうとしてしまうのだと知りました
私は批判家です 自分の考えを曲げることも苦手です
こうだと信じると他者の考えを受け入れることができず「違うでしょう」
と批判したくなります 自分の信じているものを否定や間違いを言われると
過剰に反応し守りに入ってしまうのです
このように歪んだ心は色々なところに現れてくるものです
こんな歪んだ心の持ち主が考えたものは歪んだ考えしか出てきません
自分の承認欲求を満たしたいだけの考え方や自分を正当化したいだけの
考え方などになるものです
自分の心のバランスをとることが大切でバランスがとれて初めて
調和のある考え方ができるのだと思います
今、色々な情報を発信している方がいますが調和のとれた考え方をされて
いる方なのかそれとも分離した考えの方なのかよく判断して聞くことが
大切なのだと思います
私自身語る内容もどんなに綺麗な言葉で飾ったとしても
どんなに平和のためだと言っていてもエゴから言っていたものが沢山あるのだと思い知らされています
どうか見抜いてくださいますようお願いします