短いエッセイ|君の手紙と、金木犀
金木犀の香りがすると、君の手紙を思い出す。
それは春、新しい家に引越したばかりの日のこと。君から引越し祝いにプレゼントを渡したいと、電話がかかってきたのだ。私は「いいよ」と言い、君はやってきた。まだダンボールばかりの空っぽの部屋に、君と私の2人きり。
そして帰り際、君は玄関で恥ずかしそうに
「今は読まないでね」
そう言って私に手紙をさしだした。なんだか甘い香りのするそれは、白地に黄色の花の模様が描かれた封筒だった。
「いい香りだね」と私。
「これはね、金木犀の香りだよ」
そして君は続けた。
「覚えてる?」
「初めて出会ったばかりの頃に、手紙をくれたこと。私、あれが嬉しくて、だから遅くなっちゃったけど、今回私も手紙を書いてみようと思ったんだ」
私はふと思い返した。─「今は読まないでね」そう私も言って、昔、君に手紙を渡したのだ。その日のことを今でも君が覚えてくれているなんて。幸せを全身にまとったような、嬉しさで心がいっぱいになった。
そして君は帰り、がらんどうの部屋に残された私は、君のいなくなった部屋で、君がくれた手紙を読んだ。
それは、私が今までもらった中で最も素晴らしい手紙だった。
万年筆の、綺麗な美しい文字で
「これからもずっとこの関係が続いて欲しい」と
書いてあった。
「そうだね、これからもずっとこの関係が続けばいいな…」心からそう思った。
今もその気持ちは変わらない。
昔ある映画で、主人公がとても素敵な手紙をもらうシーンがあった。
君がくれたのと同じような手紙、万年筆の綺麗な美しい文字で、心のこもった文章が書いてある手紙……─そんな手紙がもらえたらどんなにいいか。そんなこと現実では、特に私の現実では、絶対に起こらないと思っていた。
思いをはせていると、いつのまにか陽が落ちていた。まだカーテンもつけていないような、不用心で空っぽの部屋に、オレンジ色の夕日が余すことなく射し込み、ベランダには美しい景色が映っていた。
今でもあの景色を忘れることができない。
後日、私も同じように万年筆で、君への返事を書いた。金木犀の香りがするポシェットを、手紙と共にジップロックに入れて、一晩寝かせた。
君と同じように、金木犀の香りがする、素敵な手紙を渡したかったから。
君がくれた手紙は、今でも人生の宝物。
金木犀の香りがすると、君の手紙を思い出す。