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ショートショート「エコシステム」

株式会社エコルームは、組織の進化を目指した。役職を廃止し、各部署を独立したユニットとし、社員は自らの判断でプロジェクトに参加する。必要な情報は共有クラウドに集約され、誰もがアクセスできる。

初日、マーケティング部の田中が開発部の吉村に尋ねた。
「今期のプロモーション、手伝ってくれる?」
吉村は画面を見たまま答えた。
「今は無理だ。製品テストで手一杯だから」
田中は一瞬戸惑ったが、「他を当たるよ」と答えて席を立った。

数週間後、田中はクラウド上で、デザイン部が類似プロジェクトに取り組んでいるのを発見した。直接会うことなく、メッセージを送る。
「この企画、一緒にやらない?」
デザイン部から即座に返事がきた。
「いいね、こちらも手が足りなかったところだ」

同じ頃、経理部が予算管理の必要性に気づき、独自にクラウド上で予算管理アプリを開発した。これにより、各ユニットが予算状況をリアルタイムで把握できるようになったが、誰も経理部が作ったとは知らなかった。

「最近、意思決定が早くなった気がする」
田中が吉村に言った。
吉村は頷いた。
「ああ、リーダーに確認する必要がなくなったからな」
田中は笑った。
「それに、知らないうちに他のチームがフォローしてくれてる」

エコルームでは次第に、誰も全体像を把握していないのに、各ユニットが自然と連携し始めた。共通の目的意識や利益ではなく、情報の共有と個々の判断が調和を生み出していた。

ある日、田中は新規プロジェクトの進捗を確認しようとしたが、担当者が誰なのか分からなかった。クラウド上には複数の名前が散らばっており、誰も「責任者」を名乗っていなかった。しかし、プロジェクトは確実に進行していた。

「誰が動かしているんだ?」
吉村は肩をすくめた。
「知らない。でも動いてるんだから問題ないだろ?」
田中はうなずいたが、違和感が消えなかった。

それから数ヶ月後、田中は自分の役割がわからなくなっていた。
仕事は進み、プロジェクトは完成していく。しかし、誰も指示を出さず、誰も責任を負っていない。田中自身も、何をすべきか分からなくなっていた。

ついに田中は退職届を出した。
「理由は?」と人事部の担当が聞く。
田中は答えた。「自分が何をしているのか、分からなくなったんです」

田中が退職した翌日、クラウド上では新しいプロジェクトが立ち上がっていた。田中の名前は既に消え、別のメンバーが自然とその役割を補っていた。誰も彼の退職を話題にせず、組織は変わらずに動き続けていた。

田中がいなくなっても、仕事は止まらなかった。誰もが入れ替わり、誰もが役割を補い、誰もが全体を知らないまま、組織は動き続けていた。

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【深化型組織を探究するコミュニティ evOrg】
https://evorg-lab.com/

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