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電力の心臓部【電力小説第5章1話】


第1話:電力の心臓部

広域送電網が映し出された巨大モニターが、部屋の中心に据えられている。青いラインは電力の流れを、黄色い点は変電所や発電所を示している。それらが絶え間なく変化し、リアルタイムで更新される様子に、スズは圧倒されていた。

「これが……中給※1……」

目の前には、複数の指令卓に座る指令員たちがそれぞれの業務を淡々とこなしている姿があった。彼らは画面に目を走らせながら、まるで呼吸をするように操作を進めていく。次々とモニターに表示されるデータ、飛び交う端的なやり取り――全てが統制されているようだった。

制御所での経験を持つスズも、このスケール感にはただ圧倒されるばかりだった。

「佐藤さんだね?」
柔らかな低い声が背後から聞こえた。振り返ると、白髪混じりの穏やかな笑みを浮かべた所長の斉藤泰然が立っていた。
「はい、本日からB直に配属されました、佐藤です!」
「ようこそ。焦らず、少しずつ慣れていけばいい。B直のメンバーが君をしっかり支えてくれるからね」

斉藤はスズにそう声をかけると、隣に立つ男性を指した。「こちらがB直の指令長、桐野翔真だ」

「佐藤さん、B直へようこそ」
桐野は穏やかな口調でスズに話しかけた。「最初から全てを理解する必要はない。まずは自分の手元に集中し、周りの声をよく聞くことだ。それだけで十分だよ」
その落ち着いた態度に、スズは少しだけ緊張をほぐされた。


中給の業務は多岐にわたり、全てが日本全体の電力安定供給を支えるものだった。送電網全体の監視やトラブル対応に加え、発電計画の策定、再生可能エネルギーの予測、そして広域機関※2との調整まで、全てが同時進行で進められている。

スズは指令卓に座りながら、周囲のメンバーたちがそれぞれの役割を的確にこなしていく様子を見ていた。

「基本的な発電計画はBG(バランシンググループ)※3から送られてくるけど、TSO(地域送電系統運用者)※4としては、エリア全体での最経済を考えなきゃいけないの」
需給調整を担当する相澤真理が手元のモニターを確認しながら説明する。
「たとえば、火力発電所をどの順番で動かすかや、貯水池の使い方次第でコストが変わる。BG計画をそのまま受け入れるんじゃなくて、修正して最適化するのが私たちの役割よ」

相澤の画面には、発電所ごとの出力や燃料コスト、需給計画のデータが並んでいた。それらを矛盾なく整える作業の難しさに、スズは思わず目を見張った。

広域対応を担当する大谷和也は、別の画面で計画の確認作業を進めていた。
「広域的な需給調整※5は、通常時にも行われるんだ。これは全国規模で効率的な電力運用をするために必要なことさ」
彼はスズに向かって補足した。
「ただ、万が一のトラブルが起きた時には『エリア間補正融通』※6が発動される。これは地域間の不足分を補う仕組みで、緊急時の最後の手段だよ」
その説明に、スズは通常時と緊急時の調整の違いを理解し、備えの重要性を改めて実感した。

記録対応を担当する小松理央は、別のモニターでデータを精査していた。
「発電所や計画の記録は自動でシステムに保存されるけど、それを確認して異常がないかを見つけるのが俺の役割。それに、太陽光や風力の予測もやってるんだ」
画面には、複数の気象会社から受信したデータが映し出されていた。
「予測データを基に計画と整合性を取るんだけど、これがズレると供給計画に大きな影響が出る。だから慎重に見る必要があるんだよ」

スズは、それぞれが高度な専門性を持ちながら、全員が連携して一つの目標に向かっていることを実感した。その動きの速さと正確さに、自分がここでやっていけるのかという不安が胸に広がる。


勤務を終えた後、斉藤所長がスズを呼び止めた。
「佐藤さん、今日はどうだった?」
「正直、自分がここでやっていけるのか不安です。何とか……」
スズの声には、戸惑いが色濃く混じっていた。

斉藤は静かに微笑み、穏やかに語りかけた。
「最初は皆そうだよ。どれだけ経験があっても、この場所のスケールに圧倒される。でも、その感覚はきっと君を成長させてくれる」

スズが頷くと、斉藤の表情が少し引き締まった。
「中給はチームワークが大事だが、それだけでは足りない。君自身が力をつけ、チームを支える役割を果たさなければならない。それが、この中給で働くということだ」
「……私も、そうなれるでしょうか?」
「もちろんだ。そのための時間が、この3ヶ月だよ。焦らなくていい。少しずつ進んでいけば、きっと君の力になる」


帰り道、スズはふと立ち止まり、夜空を見上げた。所長や先輩たちの言葉が胸に浮かぶ。
「焦らず、一歩ずつ。でも、私も早くみんなみたいに動けるようになりたいな」

スズは静かに息を吐き、夜風の中を一歩ずつ歩き始めた。



スズの電力用語豆知識講座

※1 中給(中央給電指令所)

「中給」とは、地域の電力運用を統括する中枢機関で、正式名称は「中央給電指令所」です。中給は、広域機関や複数の制御所と連携しながら、エリア全体の電力需給バランスを調整します。発電計画の調整、送電網の運用監視、トラブル対応など、多岐にわたる業務を日々こなしており、エリア内での電力供給の「司令塔」とも言える存在です。

エリアごとに1箇所しかないため、ここでの判断や調整がその地域全体の電力供給に直結します。


※2 広域機関(電力広域的運営推進機関)

広域機関とは、日本全体の電力需給バランスを管理する組織です。正式名称は「電力広域的運営推進機関」。各地域(TSO)から送られる発電計画や需要予測を集め、それを基に全国規模で最適な電力供給計画を作成します。広域機関の役割は、自然災害やトラブル時でも安定した電力供給を維持することにあります。


※3 BG(バランシンググループ)

BGは「バランシンググループ」の略称で、エリア内の電力需要と供給を調整する単位のことです。発電所や需要家が一つのグループとしてまとめられ、BGごとに需給計画を立てます。この計画は広域機関やTSOに送られ、地域や全国の電力供給の調整に活用されます。


※4 TSO(地域送電系統運用者)

TSOは「Transmission System Operator」の略で、地域送電系統運用者を指します。広域機関が作成した全国規模の計画を基に、地域ごとに具体的な送電網や発電所の運用を担当します。TSOは効率的かつ安定的な電力供給を目指し、トラブル時の復旧対応や計画の調整も行います。


※5 広域的な需給調整

広域的な需給調整とは、通常時における全国規模での電力需給バランスを調整する仕組みです。広域機関が主導し、地域ごとに効率的かつ経済的な電力供給が実現できるように計画を最適化します。


※6 エリア間補正融通

エリア間補正融通は、地域間で不足した電力を補う緊急時の調整手段です。トラブルや急激な需要増が発生した場合に、他エリアから不足分を補充して供給を安定させる仕組みです。



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天乃零(あまの れい)
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