見出し画像

【電力小説第4章第1話】電力の中枢

「これが、本当にあの“現場”なんだろうか?」

漆師(うるし)制御所に配属された佐藤スズは、周囲を見渡して少しだけ拍子抜けしていた。

想像していたのは、ピリピリとした緊張感に包まれた空間だった。何しろここは、電力の流れを監視し、異常があれば瞬時に対応しなければならない中枢施設なのだ。

だが、実際に目の前にある操作卓を囲む職員たちは思った以上に和やかだった。

「スズちゃん、今日が初めてだね。緊張してる?」
隣に座る福留翔太が、ニコッと笑いながら話しかけてきた。その声に、スズはわずかに肩の力を抜いた。

「緊張というか……そうですね、まだ何もわからない感じです」

スズが正直に答えると、向かい側の神谷凛が軽く肩をすくめた。「まあまあ、そんなものだよ。最初はみんなそんな感じだからね」

そして、そのやりとりを冷静に見守る柴崎隆司当直長の姿があった。柴崎は物静かにモニターを見つめながら、時折的確な指示を出す存在感のあるリーダーだ。

さらに今日は、スズの初勤務に合わせて同期の風間廉が応援で加わっている。

廉は普段、C直に所属しているが、新人が当直に入る際は必ず応援要員が加わるのが漆師制御所の慣例だった。

「廉、よろしくね」
スズが声をかけると、風間廉は静かな口調で「ああ、こちらこそ」と短く答えた。その落ち着いた話し方と姿勢に、スズは少しだけ安心を覚えた。

昼直は8時から20時まで。通常は発電機や変電所の計画的な停電作業を管理しつつ、異常対応や常時監視を行う。制御所の業務は24時間体制で進められており、昼直でも常に緊張感を伴う場面が訪れる。

福留が軽い口調で言った。「最初は分からないことがあったらすぐに聞いて。ここではチームが大事だからね」

スズは「はい!」と少し声を張って答えたが、心の奥ではまだこの場所に立つ実感が湧いていなかった――その瞬間までは。


突如、鋭い警報音が制御所全体に鳴り響いた。

スズは反射的に操作卓の画面に目を向けた。巨大な監視制御盤には、送電系統を示す図が広がり、その一部が赤く点滅している。画面中央には「中南変電所 2号線トリップ」の文字が浮かんでいた。

「中南変電所の2号線トリップ!」
福留翔太が声を上げた。

「潮流が1号線に集中しています!」神谷凛が即座にモニターを確認する。

「北西ルートと西部ルートへの切り替え準備を!」柴崎隆司当直長が短く指示を出した。

その時だった。普段静かに話していた風間廉の声が、一変した。

「北西ルート、切り替え操作を開始します!」

廉の声は大きく、はっきりと制御所内に響き渡った。普段の穏やかな口調とは別人のようだった。

「了解!」福留が応じる。

「潮流確認中――北西ルート、問題なし!」神谷凛が続ける。

廉の声は力強く、一つひとつの言葉が明確に伝わる。その変化に、スズは圧倒された。

記憶力、判断力、伝達力、そして誤操作防止のための声量――ここでは、スズがこれまで経験したことのないスキルが当たり前のように求められていた。


「北西・西部ルート、正常。」福留翔太が最終確認を終えた瞬間、警報音が止まり、制御所内には静寂が戻った。

スズは自分の胸の鼓動が速いままだと気づいた。一方で、福留や神谷、廉は自然に確認作業を進めている。

「こういう事故に実際に立ち会えるなんて、貴重な経験だよね」
風間廉が静かな声で言った。その言葉に悪意はなく、ただ事実を述べているだけだった。

だが、スズにはその一言が胸に突き刺さった。

過去の発電所や変電所では、目に見える機器の動きに助けられた。けれど、制御所では数字と線、そして瞬時の判断が全てだった。

「なんてところに来てしまったんだろう……」

スズの呟きは誰にも届かず、ただ制御所の静けさに吸い込まれていった。

目の前の監視制御盤には、安定した潮流のデータが映し出されている。その緑の光はどこまでも冷たく無機質だった。


いいなと思ったら応援しよう!

天乃零(あまの れい)
もしこの物語が少しでも楽しんでいただけたなら、応援の気持ちをチップでいただけるととても嬉しいです。いただいたご支援は、さらに良い作品を作る力になります。どんな小さな気持ちでも、心から感謝いたします! 零