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ソローの「森の生活」について

 この本は高校生ぐらいの時に買ってから、今現在までことあるごとに読み返している本です。読み返しているとは言っても、経済の章ばっかり読み返すことが多いです。
 読む時によってその時々の発見があり、本の中で紹介されている言葉は神話や詩、宗教の経典などから多数引用されており、また、歴史上のちょっとした逸話なんかも混じっているので、さまざまな文化の断片に触れることができます。引用元を追いかけるところまでいくと楽しそうですが、まだそこまでには至っておりません。
 自分の周辺でこの本について知っている人も少数いますが、難しくて途中で断念してしまったと言う声を聞くので、この本の魅力を伝えられたらと思い、章ごとにざっくり要約したり、これだという一文を引用してみたりしました。
 下巻の途中ですが、経済の章をだいぶ短く書けたことに満足してしまったので、続きは気が向いたら書きます。

▼経済
 現代人は必要以上に道具を持ち過ぎていて、もっている道具の道具に成り下がっていて、そのことで身動きが取れなくなっている。
 そうではなくて、生活に便利な道具は利用しながらも、必要最小限の所有に努め、もっとやるべきこと、例えば歴史、神話、詩に親しんでみたり、自分でできることを自分でやってみることが大切なのではないだろうか。

▼住んだ場所と住んだ目的
 私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにはおちいりたくなかったからである。(上巻P163〜P164)

▼読書
 母国語を習得したのであれば、大衆的な読み物で時間を無駄にするのではなく、古典などの価値のある高貴な読み物を読んで文化的に自分を高める方がよい。

▼音
 馬車の音、鉄道の音、鳥の声、動物の声

▼孤独
 孤独ほどつきあいやすい友人には出会ったためしがない。われわれは自分の部屋にひき籠っている時よりも、外でひとに立ちまじっているときのほうが、たいていはずっと孤独である。(上巻P244)

▼訪問者たち
 楽しい訪問者もいたが、そうでない訪問者もいた。

▼マメ畑
 種を蒔いたり、草取りをしたり、刈り取ったり、脱穀したり、選り分けたり、ひとに売ったり、それから食べたりといった、マメとの長い付き合いは、私にとって得がたい経験だった。(上巻P287)

▼村
 もしすべての人間が、当時の私と同じように簡素な生活を送るようになれば、盗みや強盗はなくなると、私は確信している。こうした事件は、必要以上に物を持っている人間がいる一方、必要なものさえ持っていない人間がいる社会でのみ起こるのである。(上巻P306)

▼湖
 「自然界」にはその価値のわかる人間がいない。羽毛と歌をもつ水鳥たちは花々とよく調和するが、はたしてどんな若者や娘たちが「自然界」の野生的で豊かな美しさと手をたずさえて暮らしていけるだろうか?「自然」は彼らの住む町から遠く離れて、ひっそりと栄えている。天国について語るものは地上を辱めているのだ!
(下巻P54)

▼ベイカー農場
 ぼくは茶もコーヒーもミルクも飲まず、バターも新鮮な肉も食べないので、そういうものを買うために働く必要はない。また、あまり働かないからあまり食べる必要がなく、したがって食費はいくらもかからない。ところがあなたは、はじめから茶、コーヒー、バター、ミルク、牛乳などを飲み食いしているから、それを買うためには必死で働くほかなく、必死で働けば、体力の消耗を補うために必死で食べなくてはならない——といったぐあいで、結局、事態は少しも好転しないだけでなく、かえってわるくなるばかりではないか。満足することがないうえに、いのちをすり減らしているわけだから。(下巻P66)

▼より高い法則
 努力からは叡智と純粋さが生まれ、怠惰からは無知と肉体的欲望が生まれる。学究にとって肉体的欲望とは、だらけた精神の習慣である。不潔な人間は例外なく怠け者だ。ストーブにかじりついたり、日だまりに寝そべったり、疲れてもいないのにうつらうつらしたり。不潔さとあらゆる罪を避けたければ、馬小屋の掃除でも何でもいいから、一心に働くことだ。生まれつきの本性を克服するのは難しいが、それを克服することが肝心なのだ。(下巻P92〜93)

▼動物の隣人たち
 家にはハツカネズミが住んでいるし、6月になるとエリマキライチョウが裏手の森からやってくるし、秋になるとアビが湖にやってくる。

▼暖房
 動物は風雨をしのぐことのできる場所に寝床をつくり、それを自分の体温で温めるだけだ。ところが人間は火を発見したので、広い部屋に空気を閉じ込め、自分の体温を奪われることなく部屋をあたためて、寝床として用い、窮屈な衣装を脱いでその中を自由に動き回り、冬のさなかにいわば夏の状態を保ち、窓を穿って光まで採り入れ、ランプを灯して昼の時間を延長する。こうして人間は本能を超えて一歩二歩と前進し、芸術の創造のためにわずかな時間を浮かせようとする。
(下巻P147〜148)

▼先住者と冬の訪問者
 私の住んでいる家の近くにはさまざまな人が住んでいたが、今はその家の痕跡しか残されていない。

今はここまで。

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