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薬を一瓶飲んで死にかけた話(ODレポ)

はじめまして。
2024年9月なかばに市販薬を一瓶飲んで死にかけた話をしようと思います。

軽いレポートのようなものです。文章におかしいところがあるかもしれませんが、興味のある方はよろしくお願いします。


自己紹介

まず、このような事態が引き起こされた背景である私の状態について記す。
現在私は双極性障害と摂食障害、睡眠障害を持っている。精神科にしばらくお世話になっており、症状の変動にあわせて薬を調節している状態だ。
生活はぐちゃぐちゃだけど、社会生活はかろうじて営めるレベルである(自分の生活を犠牲にしているとも言える)。

高校生のころから鬱、軽躁状態を繰り返し、自傷行為が20歳くらいまで続いていた。17歳の頃に摂食障害を発症し、拒食→非嘔吐過食→過食嘔吐→非嘔吐過食(克服しようと思って吐くのを我慢する、というのを試みた結果&普通に吐けなくなってきた)という変遷を辿っている。大学入学後に精神科に受診し、経過を見て双極性障害と診断が下った。

以上のような状態なので、高校生くらいからずっと「死にたい」という思いを抱え続けてきた。

動機

本当に死にたくてやったのか、と聞かれると微妙だった。
本当に死にたいのは変わらないのだが、ただ私は現実から逃れたかっただけだ。

死にかける日の1週間くらい前から、これまでずっと漠然としていた「死にたい」という気持ち(希死念慮)が、明確な「死のう」という気持ちに変わった。
いつまで摂食障害に振り回されるのか?過食して醜い、太って醜い、化け物、早く人間になりたい、感情のアップダウンで周りの人に迷惑をかけている…etc。理由はたくさんある。
結果、「さて、人生はここで終わり。どうやって死ぬか」vs.「今死んだら事故物件になるし慰謝料などで親族に迷惑かけるし」vs.「とにかく現実から逃れたい、つらいつらい」という気持ちにもみくちゃにされてぐちゃぐちゃになっていった。「今死んだら~」は辛うじて残った理性だと思う。多分。こいつがいるから余計に苦しいまであるけど、こいつがいるおかげで生きているとも言える。それでも、「死ななきゃ、死にたい」という気持ちが頭の中で渦巻いて、泣き叫んで気が狂いそうになっていた。

そこで、とりあえずこの問題は一旦置いておいて、今は何も考えずに眠りたい、辛いことから逃れたいと思って、ODした。

前日譚

今回レポする自殺未遂になりかけの現実逃避ODをする前に、私は何度か同様に「死ぬかもしれないし、死なないかもしれない自殺未遂のようなもの」を繰り返していた。
実は辛すぎて記憶が曖昧になっているため、当時の日記やメモ、LINEの記録、周囲の人から聞いた話などを元に書いていく。

先述した通り、私は未遂の1週間前から気が狂いそうになっていたので、様々な手段を取っていた。

大きく分けて次の4つ。
①酒を大量に飲む
②咳止めのOD
③抗不安薬と睡眠薬のOD
④酒&睡眠薬OD


①酒を大量に飲む
私は極度の下戸で、酒は1ミリも飲めない。酒入りのチョコでも動悸と吐き気が来る。
そこで思いついたのは、飲酒をある程度すれば昏倒するのではないか、ということ。
私は急いで酒の安い近所のスーパーに駆け込み、出来るだけ度数が高い酒(ストゼロとか濃い目のチューハイ、ハイボール、日本酒)を買い込み、帰宅。一気に、しかも浴びるように飲んだ。
結果。何も起こらなかった。
「おかしい、飲酒量が足りないのか?」と思って追加で酒を買いに行き一日中飲んでいたが、気持ち悪くなるけど昏倒はしないし意識ははっきりする、しかもいつも以上に目が覚める状態になっていた。
つまり失敗。

②咳止めのOD
ODで有名な風邪薬の咳止め成分は脳に働くので人によってふわふわするらしい。場合によっては命に危険あり。最近はトー横事情などの背景からODの取り締まりが厳しくなっているのでドラッグストアで買える風邪薬の個数の制限や本人確認(これは未成年者の場合らしい)があるという。そこで私は(ほんとはよくないけど)「風邪ひいちゃって……」と嘘をついてドラッグストアとAmazonで咳止めを買った。
Twitter(現 X)では「〇〇を××錠飲んだら意識が飛んだ」みたいなツイートが検索すれば出てくるので参考に服用。
……何も起こらなかった。
そこで、今度は一瓶飲んでみた。何も起こらない。
「なんだ、一瓶飲んだくらいじゃなにも起こらないんだ」と思い、その薬を飲むのはやめた。後にこの考えが命取りとなる。
そして次の手立てを考えることにした。

③抗不安薬と睡眠薬のOD
当時、私は抗不安薬や睡眠薬が複数処方されていた。また、今まで処方されてきた薬の残りもあった。そこで、これらを何シートも飲めば寝れるのでは?と思い、服用。
結果、記憶のないLINEを交際相手にしていた。ちなみに内容は「激鬱の極み乙女」。我ながらユーモアのある戯言だと思う。
処方薬には限りがあるので、もっと有効な手段を探すことにした。

④酒&睡眠薬OD
皆さんはご存じだろうが、睡眠薬と酒の相性というのは良くない。私が飲んでいるフルニトラゼパムという薬で、この系統の睡眠薬の中でほぼ最強らしい。いわゆる「レイプドラッグ」と呼ばれるもので、こっそり酒に入れて昏倒させてレイプする事案が起こったらしく、溶かしてわかるように青く着色されているのが特徴だ。
これらを踏まえ、私は「酒と一緒に飲めば意識が飛ぶはず」と考えた。そこで、フルニトラゼパムをODした上で酒も多量に飲めばいいのでは?最悪吐くけど過食嘔吐で吐くのは慣れているので気にしないことにした。
結果。何も起こらなかった。しかも全く寝れなかったし、意識も飛ばなかった。

この結果、私は完全にODをナメ腐ることになった。

当日の出来事

さて、そんなこんなで全く問題を先送りにできず悶々と悩む日々が続き、限界が近付いた。
その日、私は「つらいけど普通に生活を送らなければ社会から置いて行かれる」という強迫観念のもと大学に行き、卒論のための研究を進め、やることを終えて帰路に着いた。
私はこれまでのODなどから、かゆみ止め成分ジフェンヒドラミンなら抗H1作用で眠くなるのでは?(H1というのはヒスタミンという物質の受容体で、ヒスタミンは脳では覚醒状態になるようにする働きがある)と考えてジフェンヒドラミンをODしようと画策していた。
ネットで「ジフェンヒドラミン 致死量」で検索し、一応死ぬのは先延ばしにしようと思って致死量の半分以下である一瓶(ジフェンヒドラミン量として750mg)を購入、服用、就寝。これがだいたい15時半くらいのこと。

ここから先の記憶は曖昧。

次の記憶は交際相手が隣にいて、水を飲ませようとしているもの。体がすごく重かった。重力が50倍くらいになったのか、と思うくらい、全く体を動かすことができなかった。交際相手は「けいれんしてる、動けないんでしょ?水も飲めないし、救急車呼ぼう」というが、私は朦朧としながら声を振り絞って「救急車を呼ばないで、迷惑になる……」と繰り返した。他にも何か効かれたが、なんか頓珍漢な回答しかできなくて、自分でもおかしいな、と思った。「救急車、呼んだから。」そう言われて、終わったと思った。聞こえるサイレンの音が近付くのと反比例するように私の意識は遠のいた。

気付いたら救急隊、警察が部屋にいた。いろいろ質問されたがやはりかみ合わないことしか言えなかった。辛うじて保険証の保管場所は伝えることができた。担架に乗せられた。全く体は動かない。救急車に運び込まれて、ああ、これが救急車なんだ……人生初だな…….などと考えて、救急隊員から両親の連絡先を聞かれ、答えて、力尽きた。

次の記憶は病院でたくさんの管につながれた状態で囲まれて質問されているところだ。「なんでこんなことしたの?」と何度も聞かれた。「死にたくなって、辛くなって、楽になりたかったからです」と答えながら、何回これ聞かれるんだろう、と思った。心電図モニターの音がうるさかった。なんで心電図なんてとるんだ、大げさだなと不思議に思った(心電図が死にかけのそれになっていたらしい)。
その後よくわからない黒いどろっとした液体を口元に持ってこられて、「飲んで」と言われたので頑張って飲んだ。クソまずかったし、じゃりじゃりしていて最悪だったのに、これを計7杯飲まされた。後で知ることになるが、これは下剤入り活性炭だった。

その後は記憶が飛んで、両親がベッドの両脇にいた。「面談だから、ね」と看護師さんに起こされた。はっと思いついたのは、交際相手への生存報告、研究室の先生、バイト先への欠席連絡。「スマホ…….とって……..」と伝えて必死に文字を打とうとするが打てない。記憶が途切れた。
後ほど聞いたが、このときスマホを落として意識を失った挙句、奮闘したせいで点滴の針も抜けてしまったらしい。

看護師さんの呼びかけで目が覚めた。
「自分のお名前、生年月日、ここがどこだかわかりますか?なんでここにいるかわかりますか?」と聞かれた。驚くくらいなにもわからなかった。わかったのは、両手と胴体が拘束具で固定されているということ、たくさんの点滴と酸素モニター、心電図モニターにつながれているということ。ごめんなさい、とだけ呟いた。看護師さんは先ほどの質問の答えを教え諭すように私に伝えた。そういえば、そうだったと思った。
それと同時に、昨日と同様に連絡をしなきゃと思って看護師さんに頼んだ。「本人からは連絡できませんけど、お母さんに頼んでみますか?」と言われたので、伝えてほしいことと連絡先を伝えた。それで少し安心し、気分が落ち着いた。

翌日

目が覚めた。病棟の朝は6時から始まる。モニターの音がうるさくて意識は朦朧としていたのに眠った気になれなかった。昨日と同じ質問をされた。今回は答えられた。
この時知ったのは、スマホは使えないこと、誰とも連絡が取れないこと、ベッドの上から動けないし、自分の意志で水を飲むことすらだめということである。また、昨日急遽実家のある田舎から呼び出された両親の様子を聞かされた。私は泣いた。自分のやったことがこんな大事になって、なんてことをしてしまったんだろうと思って泣いた。迷惑かけまくりじゃないか、だったら潔く死にたいと思った。だんだんと現実の状況に目が行くようになると、今度は人間としての尊厳が失われていると感じて辛くなった。

身体拘束のレポになるが、手足、胴体は全く動かせないのでトイレは全てオムツにして看護師さんを呼んで処理してもらったり、食事や歯磨き、体を拭くなどの行為は全て看護師さんのお世話になったりした。これがものすごく辛かった。屈辱だったし、看護師さんに申し訳なく思った。
しかも、下剤入り活性炭の効果は抜群で、何度もナースコールを押すことになった。オムツを決壊させることもあった(汚くてすみません)。

退院まで

退院当日までそんな生活が続いた。身体拘束がだいぶ応えたため、さっさと退院したいという気持ちが強くなった。「死にたいという気持ちがある限り退院させられない」と言われたので「もう死にたくないです」と言い続け、電解質や心電図の異常もなくなってしばらく経過したため、「自殺の恐れはなし」とみなされて手の拘束だけ最終日になくなった。トイレも看護師さん付き添いの元自分で行けるようになった。けいれんしてうまく歩くことができなくて、看護師さんに「ほんとに大丈夫?歩けてないじゃん」と言われてた。顔も引きつっていた。
そこから、退院が決まると両親に連絡が行き、また両親は田舎から車で出てきてくれた。夜になっていた。両親は泣きそうな顔をしていた。退院時に主治医への手紙と退院の書類をもらって家に帰った。

後日譚

後日聞いたことをここでは記そうと思う。

まず、交際相手から聞いたこと。
夕食を一緒に食べる予定だったのに一向に連絡がないため家に来たらしい。それまでも私の精神状態が危うかったのと、ここ1週間のODの状況から家の合鍵を渡していたため家に入り、倒れている私を発見した。
救急搬送は迷ったが、本当に危なそうだったから決意したらしい。私はずっと意識があやしかったし、返答もおかしかったとのこと。どんな質問にも必ず研究の話をしていて怖かったらしい。警察が沢山きて家宅捜索したり、事件性の有無の確認のために事情聴取されたりしたらしい。本当に迷惑をかけた。

両親から聞いたこと。
私はガチで死にかけていたらしい。ICUに送られて、その後私が入院していた病棟はHCUだったらしい。
本当に死んでしまうのではないかと思って泣いたらしい。「なんでこうなる前に相談してくれなかったの」と言われて申し訳なく思った。相談したら心配かけるからだよ、とは言えなかった。それを言ったら余計に両親を悲しませると思った。

かかりつけの精神科に手紙を渡した時に聞いたこと。
「え、低カリウム?QT延長?瞳孔散大?呼吸抑制?これ、あと少しで死んでたよ」と言われた。
散々先程書いたが、ODで何も起こらなかったためナメ腐っており、「致死量の半分以下なら死なないだろう」と踏んで飲んだら死にかけたらしい。私は別に死ぬ気はなかった(死んだら死んだでいいかとは思っていた)が、意図せずそうなっていたことに恥ずかしさと、迷惑をかけた申し訳なさでいっぱいになった。

最後に

入院の経験を思い出すと、二度とODをしようとは思えない。
一方で、ジフェンヒドラミンに対して私は中毒になりやすいのではないかという仮説が立てられてしまったため、次は確実に死ねる、と考えるようになった。現実から一時避難する手段は奪われたが、現実から永遠に逃げるためにどうするか、は考えられるようになってしまった。
実際、現在も度々気の狂うような死にたい意思に襲われ、「致死量の2倍をこの時間に飲めば確実に発見まで〇〇時間かかるから死ねるはず」などと考えてしまう。薬をAmazonでカートに追加するところまで行った。

しかし、交際相手や両親だけでなく、このことを知った親戚、友達、先生、バイト先の人、大家さん全員に迷惑をかけてしまったということが心苦しくなり、「今死んだら迷惑だ」という理性が少し強くなった。おかげで苦しさは増したが、まだ死んでいない。
今は薬を調整して様子を見ている。

これ以来、処方薬と市販薬は規定量を守り、ODをすることも、飲酒をすることもぱったりやめた。

これを読んでくれている人の中には死にたい気持ちを抱えている人や、ODをしようとしている人、興味を持っている人、実際している人もいると思う。
私はODはやめろとは軽々しく言うことはできない。なぜかというと、それが生きるための支えになっている人もいると思うからだ。私もつらい現実から逃れたいというのはこんな思いをせずに生きたいからで、そのためにODしたのでやめろとは言えない。でも、私みたいに馬鹿な事はしないでほしいと思う。ゆくゆくはODではない方法で少しでも楽に生きられるといいとは思うけれど、無理して手放しても余計死にたくなるだけだと思う(ODを推奨しているわけでは決してありません)。私を反面教師にして、こうならないようにできるだけ健康な支えの杖を探してほしいと思う。

長文になりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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