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インナーチャイルド②人との比較

 *弟妹や、年下の人間よりも劣っていることは屈辱である。
 *誰かと比較でのみ自分の価値が決まる。
 *不足感や欠乏感

こちらについて掘り下げていきます。

私は弟と7歳離れていることもあり、物心ついた時には「お姉ちゃんなんだから」と言われてきました。

「年が下ならできなくても許されることが、年が上だと許されない」
「年下の人よりも劣っていることや遅いことは恥ずかしい」
「何かを成し遂げる、経験することは早い方が偉い」

こういった概念は強くあったと思います。

自分よりも劣っている、できない、遅い人を見つけると安心したものでした。
(性格悪いですよね‥‥(>人<;)。)

自分よりも優れた人がいる→自分が否定された気持ちになる。
自分よりも劣った人がいる→自分が肯定された気持ちになる。

どちらも、自分は上がっても下がってもいません。

他者の在り方によって自分の在り方が左右される。
こんなぐらぐらな人間でした。

小学生の時の本当に小さなことだと、自分が頑張っていた縄跳び検定で、仲の良い友達が先に評価される。
友達が頑張っていたのも知っているし、そのことによって私が否定されているなんてことはないのに、どこからか

「あんなに頑張ってたのに、友達に先越されて、恥ずかしいね。かわいそうだね。」

と言われている気がしてなりませんでした。
仲良しの友人に先に彼氏ができたり、というときも同じです。

友達にはある→自分には無い→自分は無価値

この図式で、いつしか自分の本当の望みでそれが欲しいのか、欠乏感を埋めるためにそれが欲しいのか、かわいそうだと思われないためにそれが欲しいのか、よくわからなくなっていってしまいました。

そして「かわいそうだと思われたくない」がとても強く、常に欠乏感をどこかに持っている人間になり、そんな人間であると周りに悟られないように必死になっていました。

今ではそんな自分を客観的に見ることもできていて、こんなふうに言語化もできていますが、今でも「人との比較を全くしていません」とは言えません。

でも、小学生と違ってある程度長く生きていると、常に絶好調の人も常に絶不調の人もいない。その人ごとの流れやタイミングってあるなぁ
というのもわかってきますし、

「何かを成し遂げるのが早い」と「長く幸せ」は必ずしも一致しないことが理解できます。

何で聞いたのかもはや記憶にないんですが、自分にとって救いになった言葉のひとつに

人間、同じ年に生まれた人が全員同じ年に死ぬわけではないので、ある人にとっては40歳でも人生前半だし、ある人にとっては15歳でも人生後半だったりする。
「〇〇歳までにこれが出来ていないと」的な概念はあまり考えなくていいと思う。

という言葉があります。
ハッとしたというよりは、なんか肩の力が抜けてちょっと楽になった言葉です。笑



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