声優ラジオと私(ラジオ関西編)

前口上。いつもに増してのド長文です…。誰が読むんだってほど長い。
しかも先に言うと、タイトルの通り「声優ラジオと私」なので、本当にこの男の想い出話しか書いていない。
番組についてのルポとか、Wikiの延長線上とか、そんなのじゃない。
どちらかと言えば、日々書いている日記の延長線上。
本当に自己満足の長文なので、それを覚悟していただきたい。



先日久々に録音した2015年4月8日のラジオ関西「神戸前向女学院。」(以下「前女」)を聴いていた。
聴いていたら思い出す事が山のようにあるのでつらつらと。

2015年4月1日水曜日。この日からラジオ関西にて、TBSラジオのJUNKのネットがスタートした。

「ラジオ関西でネットされるならば、どうせならばラジオ関西のCMを聴きたいし、今夜の『不毛な議論』をラジオ関西の音源で録音しよう!」と思い、当時静岡県に住む高校2年の自分は「ラジコ」でラジオ関西を聴いた。
ここにおける「ラジコ」とは、「radiko」と何か英語のスペルが1つ違う「ラジコ」。この当時はこれでどうにか地方を変えて聴いていた。

今に至るまで、自分がスマホを用いてラジオ録音する時は、(当時は『ラジコ』だけど)radikoでその録音したい番組のやる局を選局し、流しっぱなしにした状態でスマホのイヤホンジャックにコードを入れて、ラジオに外部入力で録音するというそんな方法。

だから、深夜1時からの「不毛な議論」を録音したいのだが、23時頃からラジオ関西を流していた。

この頃は寝る時、いつもは爆笑問題カーボーイのポッドキャストか録音したのを聴いていたが、この日は折角だからとラジオ関西の番組をリアルタイムで聴いていた。

23時28分頃に聴いていた番組が終了。
「この後はどんな番組なのかしら?」と目を瞑りながら思っていたら、23時半になった途端、女性2人の話し声。

その話を聴いていると、今夜から番組放送時間と曜日が変更されたとのこと。

聴きながら何となく、「この人達は声優さんだな」と思ったのを覚えている。
番組スタートから数分後、「神戸前向女学院!」とタイトルコールをして、「こんばんは井上麻里奈です!」「こんばんは伊藤かな恵です!」と自己紹介。

まぁ、この段階ではまだ「声優かも?」という程度だったのだが、翌日調べて、本当にこの人達は声優さんだと知る。

この番組を聴いていて思ったのは、これまで自分が聴いていた芸人深夜ラジオと違って、毒気も無ければボケも無い。もちろん下ネタも無い。
そしてこれまで自分は、爆笑問題、伊集院光、ナインティナイン…などなど。とにかく男性パーソナリティーのラジオしか聴いてこなかった。

何もかもが自分が知っているラジオとは違う世界。

一気にこの番組に惹かれて、翌週からは録音して、何度も何度も繰り返し聴いた。

今までは録音したカーボーイを寝る前に聴いていたが、この翌週からは録音した「前女」を毎日聴くようになった。

しかもこの後書いていくラジオ関西の番組や超A&Gの声優ラジオにのめり込んでいき、ここから2年近く馬鹿力とカーボーイについては、録音は毎週したものの、聴く事はほぼ無くなった。
あの爆笑問題を上回るほどの衝撃があったのである。

番組の2人のトークの内容やテイストも芸人深夜ラジオとは違うのだが、リスナーのメールの感じも全然違う。

芸人ラジオについては、リスナーは大喜利的なネタを投稿し主にそれらをパーソナリティーは読んでいるワケだが、声優ラジオで主に読むのは「ふつおた」(もちろん声優ラジオにだってコーナーはあるけど)。

芸人ラジオのネタメールは向こうからテーマを提示されているワケだが、声優ラジオのふつおたはそんな事は無く、とにかく好きなことを自由に送れる。

「これならば、笑いのセンスの無い自分でも何かメール送れるかも…」と、当時は人生通算3通しか採用されていない、メール投稿ですら数ヵ月に1通程度だった自分は思ったのである。

おまけにこの「前女」、その週に採用された人の中で1人に、パーソナリティー2人のうちのどちらかがラジオネームを手書きで記入する「学生証」がプレゼントされていたのだが、自分が聴き始めた数週間後から採用者全員へのプレゼントに変更された。

だからこそ、じゃあ自分も…!とはなったのだが、なかなか投稿する事も無い。

そうこうしていた5月の半ば。

「前女」が6月いっぱいで終了する事が発表された。

本当にショックだった。
好きになって、たった数ヵ月。
1番大好きだって気持ちが強い中で終わってしまう…。

このショックはしばらく引きずった。

ショックに陥りながらも、「6月の番組終了までに、絶対に学生証をゲットしてやる!!」とそれから必死になって、とにかくメールを送り続けた。しかしどれも没。

6月に突入して、もはや諦めの時期。
タイトル忘れちゃったけど、とあるコーナーがあって、そこのテーマが「『前女』とはどんな番組か端的に説明せよ」的なモノ。

ふつおたがダメならばここだ!と、数十通も送った。

その甲斐あったのだろう。番組残り3回という時に放送された、そのコーナーの「『前女』とはどんな…」のメールテーマの部分で採用された!
しかも自分が初めて聴いた4月1日の回の内容をネタにした内容。
本当に本当に嬉しかった。
学生証が貰える事もそうだけど、麻里奈さんにメールを読んで貰えた事が思っていた以上に嬉しかった。

それから数日後、手元に学生証が届いた。
当時のラジオネームを麻里奈さんなのか、かな恵さんなのか、どちらかは分からないけど手書きで書いてくれた、この世に1枚だけの学生証。
本当に本当に嬉しくて、ずっーと眺めていた。

そして6月最後の水曜日。やって来てしまった「前女」最終回。
いつもは収録のこの番組も最終回記念に生放送。
しかも「いつもオープニングが長い!」と本人もリスナーもネタにしていたので、30分の番組なのに、28分ぐらいひたすらトークをして、番組の最後の最後に「神戸前向女学院!」とタイトルコールをして、オープニングが流れ、いつもならばオープニングで話す口上を話していて、それがまたかなり感動的だった。

楽しかった最終回の30分が、「前女」があっという間に終わってしまった…。

かなりの喪失感に苛まれながら、その夜は眠りについた。



「前女」が終わると決まった頃から、「前女ロスに陥るのは確定だから、それを薄める為にも他の声優ラジオを聴こう!」と決めていた。

LFの深夜放送は「オールナイトニッポン」、TBSの深夜放送は「JUNK 」と枠が出来ているように、ラジオ関西の夜の声優ラジオは「アニたまどっとコム」という枠だった。
もちろん「前女」もアニたまの番組の1つなので、次もアニたまの中から探そうとした。

そして「前女」と出会うまで聴いていた芸人ラジオは全てパーソナリティーが男性だったから、声優ラジオのパーソナリティーは全て女性にしよう!とそう決めた。

そして聴き始めたのが「まよなかデリバリー」「ゆきんこ・りえしょんのいちごまみれだよ~」「おどろき戦隊モモノキファイブ」である。

「まよなかデリバリー」(まよデリ)は土曜0時からの30分番組。
「ゆーみん」こと内山夕実さんと、「のじょさん」こと山本希望(のぞみ)さんのラジオ番組。

「前女」で採用されたので、ここでも読まれたい!と勢いで投稿したら、早速採用された。
その内容は「ゆーみんとのじょさんの声の聞き分けが出来ない!」という内容。このメールにまつわる小話はまた後で。

この番組で、特に力を入れて投稿したのは「真夜中の廃品回収」のコーナー。
最近あった嫌な出来事、落ち込む出来事を募集していて、ここで採用された人の中の1人に、2人からの直筆メッセージでそのメールに対する励ましの言葉がやって来るという、そんなコーナーだった。
前女の学生証の一件もあったので、奇跡的にまたここで直筆メッセージが貰えるだろうと高を括っていたが、結局何度も採用されたのに、1度も直筆メッセージを貰える事は無かった。

とは言え、まよデリではそこそこ採用されていたのだが、聴き始めて数ヵ月しか経たない、2015年12月の半ば。「今月末で終了します」と発表されてしまった。

前女ロスを救ってくれたまよデリが終わってしまうなんて…。
またしても気持ちはどんよりと落ちてしまった。
今となっては大変申し訳無いけども、次にこの時間帯に番組やったパーソナリティーを恨んだほど、とにかく辛かった。

番組最終回宛にメールを送った。
採用される事は無かったけど、優しいお2人なので、番組終盤で「もう時間が来てしまったので、メールを送ってくれた全てのリスナーの方々のラジオネームをお読みします!」と言い、自分のラジオネームも読んでくれた。

嬉しさと共に、本当に終わってしまうんだなとかなりショックで、この時も前女同様かなり引きずった。

ちなみに引きずり過ぎたので、のじょさんにファンレターを書いたほど。
人生で初めて書いたファンレターは、のじょさん宛だったのである。




まよデリと同時期に聴き始めた「いちごまみれ」のパーソナリティーは、「ゆきんこ」こと五十嵐裕美さんと「りえしょん」こと村川梨衣さん。

声が高くて特徴的な声をしたりえしょんはトークがあっちこっちに行く不思議ちゃんタイプの人で、それとは逆でツッコミ役でもあり、りえしょんとは違ってリアリストな感じのゆきんこさんという、そのギャップがまた面白かった。

人生初の「声優イベント参加」は2016年2月に神戸のポートアイランドで開催された、この番組の公開録音イベントだった。

前女もまよデリも失くなってしまった当時、拠り所だったのは、このいちごまみれと後述のモモノキ。

だからこそ、この公録イベントには行きたくて、勝手に公録参加チケット付のCDを購入してしまったほど。

しかし母親は、高校生のこの男が数百キロ離れた神戸に1人で行く事は大反対。
父親は「まぁ、何事も経験だから良いんじゃない?子供では無いんだし、1人で神戸ぐらい行けるでしょ?」って考え。

折衷案として、「イベント参加は1人で良いが、神戸までは父親と行け!」というものに。

正直嫌だったが、チケット買った以上、もう後には引けん。

やっぱりこの趣味って、ちょっと親に隠したい部分があったりする。
だからこそ、イベント参加はもちろんの事、神戸には1人で行きたかった。

昼頃に神戸に到着。
父親が事前に調べた美味い天ぷら屋で昼食を食べ、会場のあるポートアイランドへ。

父親はポートアイランドのIKEAなどを散策するとの事で、ポートアイランド駅で待ち合わせをする事に。
「何時ぐらいに終わりそう?」と父親。
「たぶん1時間半ぐらいで公録終わると思うから、その時間にこの駅で。」と自分。

父親と別れ、会場である神戸国際会議場へと1人向かう。
この公録がとにかく面白かった!!
特に「怪盗ゆきんこと名探偵りえしょん」というコーナーがあったのだが、ここでりえしょんが1人しりとりで伝説を作り、「善人な名探偵」と「悪人の名探偵」の間で葛藤するという1人芝居で延々とやり倒すりえしょんがまぁー面白くて、腹を抱えて笑った。
しかも1人芝居は放送だと全カットだったので、本当に行って良かった!

りえしょんは名探偵だけど、時間泥棒でもあるので、予定よりも30分オーバーで公録は終了。

父親を待たせているワケなので、大急ぎで席を立ち、小走りでロビーへ行くと、ニヤニヤ笑う父親がロビーで待っていた。

駅に行っても自分が来る気配も無く、事前に「会場は神戸国際会議場だから」と伝えておいたので、会場へと来て待ち構えていたらしい。
しかも入り口で警備員に「何ですか!?」って止められたらしくて、父親は「子供が中にいるんです!!」ってドラマでしか言わないような台詞を言って、ロビーに入ったらしい。

そのロビーで待ち構える父親のニヤニヤ笑いを見て、「やっぱり次の機会があったら、絶対に1人で来よう…」と強い決意をした。



「おどろき戦隊モモノキファイブ」は、モモノキピンク・中村繪里子さんとモモノキイエロー・日笠陽子さんの番組。

この番組は「おどろき戦隊」というのもあって、隊員証」が毎週1人にプレゼントされていた。
毎週、番組最後の所で「隊員証希望」と書かれたメールの中から、2人のどちらかがメールを引いて、その人のメールを紹介しつつも、その人に隊員証をプレゼントするという仕組みだった。

モモノキでの初採用は、ここに送ったメール。

その内容は「中村さんと日笠さんの声の聞き分けが出来ない!」というモノ。

さて覚えているか。上記のまよデリでも1番最初に採用されたのが「ゆーみんとのじょさんの声の聞き分けが出来ない」。

今だったらマルチメールと怒られそう。
とは言え、本当に全く聞き分けが出来なかったのである。
これまで聴いてきた芸人ラジオは、ラジオを聴く以前にTVで声も姿も認識していたから、声の聞き分けが出来ないなんて事は無かったのに、前女もまよデリもモモノキもなかなか聞き分けが出来なかった。

採用されたい!という下心はそりゃあるワケだからこそ投稿したとは言え、正直な気持ちをメールしただけなのである。
正直な気持ちを送ったという証拠として、モモノキに投稿したメールには「ちなみに全く同じ内容をまよデリにも投稿したのですが、その際のじょさんが…」ってしっかり書いて、モモノキでもこの1文に触れてくれた。



高校3年に進学した頃からは、声優ラジオは超A&Gのものを主に聴くようになったので、聴いていた番組は「いちごまみれ」と「モモノキ」という果物コンビだけに。(超A&Gについてはいつか。)

高3の秋、「ラジオ関西まつり」でモモノキの公開録音が開催される事になった。

この頃よくモモノキでメール採用されていただけに、何としてでも参加したい!

しかし、高3の受験間近な時期なので、この間は賛成してくれた父親にも反対された。
ちょうどこの直前、模試があったのだが、その出来にはかなり自信があったので、そこで滑り止めの大学以外でA判定が1つでもあれば行かせてくれ!とお願いした。
すると、モモノキ公録前日に返却された模試の結果、某大学の所にA判定!

ということで神戸行きが決定した。

いちごまみれの時は、その直前に郵便局の年賀状仕分けのアルバイトをして金があったので行き帰り新幹線だったのだが、今回は金が無いので、行きはJR在来線のみ。帰りは近鉄特急&JR在来線。
早朝に出掛けて、神戸に着いたのは12時半。
15時過ぎの公録終わりと共に大急ぎで神戸を去り、帰宅したのが22時。
かなりハードだったが想い出は山のようにある1日だった。(これも細かい事はいつか)

肝心のモモノキ公録。
放送とほぼ同じ1時間ぐらいで終了。
とにかく大勢の人集りの中、立ちながら見ていた。
朝からの疲れもあったはずだけど、そんな事を忘れてとにかく笑っていた。

楽しい時間だったからこそ、帰りの電車の中は受験の不安など、現実がかなり重くのし掛かる。しかも帰宅するまでかなり時間がかかるので、時間が経てば経つほど陰陰鬱々としていた。

年が明けて2017年。

受験の第一志望校の合否発表が2月10日金曜日。
その2日後の2月12日日曜日に、いちごまみれの公録が六甲アイランドにて開催される事になった。

これは行きたい!ということで、チケット付のCDを入手しながらも、「もしも第一志望に合格したら、神戸に行かせてくれ!」と親に懇願。

しかし現実は非情である。不合格。

不合格も辛かったが、昨年末に公録開催が発表されてから、その参加を楽しみに受験を頑張ってきただけにこの事実は受け止められなかった。

あまりにもショックを受け過ぎて、それが顔にも出ていたのであろう。
父親から「結果は残念だったが、神戸には行って良い!」とお許しが出た。

2月10日にはタイタンライブを観に行って、爆笑問題の漫才でとにかく大笑いして、それでそれで気持ちが救われたのだが、その2日後のいちごまみれの公録では2人の可愛さに癒されたり、特にりえしょんのとにかく元気な姿を見ていたら自分も元気を貰った。
気持ちが明るくなった。
しかも、前回の公録よりも前の席なので、2人の表情がハッキリと見える。
それでさらに2人の事が好きになった。

「受験とりえしょん」にまつわる話だと、このいちごまみれに「りえしょんロボ」というのが存在した。
過去のこの番組でのりえしょんの発言(主に単語)をスタッフが抽出して、スタッフが操作する事でそのラーニングした言葉が発せられる、言わばAI、また別な言い方をすれば「CD田中の発展版」。
この頃は番組内のゆきんことりえしょんのトークの中にも、普通にりえしょんロボが乱入してきて、番組の出演者は3人と言っても過言では無いほどになっていた。

このりえしょんロボから、特によく出てきていたワードが「終わり!」というもの。
(確かフリートークゾーンの程好い時間帯に、2人が話してる所で「終わり!」ってりえしょんロボが乱入して、「じゃあそろそろ、このコーナーを終わりましょうかねぇ~」なんて流れになっていた。)

で。自分がとある大学の受験を受けた時、問題用紙の注意事項の所に「『終わり』の合図とともに解答を終える事」と書いてあるのを読んで、りえしょんロボが頭によぎって、少し気楽になった。

ちなみにこの大学には合格したので、「合格出来たのは、りえしょんロボのおかげです!」的な落とし方でメールを送ったら、採用されて、2人&ロボにお祝いして貰った。

本当に行きたかった大学が不合格だった時に落ち込んでいた自分を励ましてくれたのも、ようやく他の大学に合格した時お祝いしてくれたのも、いちごまみれの2人だった。



2017年の春、大学に進学してから、主に声優ユニット・スフィアが好きになった。
しかもスフィアが2017年の秋で活動を一時休止するからこそ、さらに好きになって行った。

だからもちろんいちごまみれもモモノキも聴いていたとは言え、正直、前よりは熱は下がってしまった。
いちごまみれとモモノキから、こんなにも受験期を励ましてくれたというのに…。

しかしどちらも、この年の秋にそれぞれ好き!って気持ちが再燃した。

いちごまみれに関しては、この年の秋の「ラジオ関西まつり」での公録が決まったから。
またしても参加し、そしてこの時は事前にメールを送った所、公録でゆきんこさんが俺のRNを読んでくれた!
嬉しくて、即座に手を上げたものの、直後に「あっ、これじゃなかったわ」と言い、他の人のメールを読み始めた。
そっと手を下ろした。これは超恥ずかしかった!
しかもカットすれば良いのに、何故かこの部分も放送されていた。


モモノキは、この年の9月で放送が終了する事になり、11月に六甲アイランドにて「モモノキロックフェス」というイベントを最後に行うという事が発表された。

やっぱり終わってしまうのはショックである。

もちろん受験期に励ましてくれて、様々な想い出があるからこそ。

ラジオ関西の番組の中で、1番採用してくれたのはモモノキ。

個人的に1番自分でも印象に残っているメールは、「さて、私はこのメールをどこから打っているでしょうか?」というモノ。
日笠さんがこのメールを読んでくれたので、答えを考えるのは中村さん。
色々とボケた後に、「答えは高校の文化祭のクラス展のお化け屋敷の棺桶の中でしたー!」という自分のメールを読む日笠さん。
笑いながら「…棺桶の中って電波入るのかよ!」って言ってくれた中村さん。

これが自分でも傑作だと思ったので、終了してしまう1ヶ月半ほど前に、「実はこんなメールを過去に投稿しました」なんて投稿したら、「あったあった!」と中村さんが覚えていてくれた。
日笠さんは完全に忘れてたってのも日笠さんらしいし、まず1年以上前のメールなんて覚えてなくて当たり前なのに、中村さんは覚えていてくれた。

こんな自分の事を覚えていてくれたなんて…。

これが本当に嬉しかったし、嬉しかったからこそ終わってしまうことがさらに寂しくなった。

9月の末で番組が終わった。
でもこの時はモモノキロックフェスが後に控えていたからか、喪失感はさほど無かった。

イベントの少し前、モモノキのツイッターアカウント「関西太郎」にて、「11月に誕生日を迎える中村さんへのお誕生日メッセージを急募!」なんてツイートが。
これはモモノキロックフェスで読まれるかも!と意気込んで投稿。

そして11月5日になり、モモノキロックフェスの当日。

昼の部、夜の部どちらにも参加したが、これがとにかく面白かった。
もう3年半近く前なのでハッキリと内容は覚えてないけども、今までの番組を振り返るような内容で、ラジオを聴いていて笑っていた光景が、こうして最後に目の前で見れて良かった!

夜の部の最後のほうで、お互いに感謝を言う流れになった。
中村さんが「星の数ほどラジオがあるのに、日笠が私についてきてくれた事!」と言った所は忘れられない。本当に泣きそうになった。
星の数ほどあるラジオ番組の中で、俺もモモノキに出会えて本当に幸せな事だなとそう思った。

ついに夜の部のイベントも終わり、これで本当に番組も終わってしまうという所で、ステージから2人がいなくなっても、何分に渡っても会場の拍手が止まない。
自分もずっと拍手を送っていた。

その拍手を聞いていた2人が再びステージに戻ってきた。
2人とも鳴り止まない拍手に驚いたり、喜んでいたり。
数分経って、2人が再びステージからいなくなった。
自分が好きな番組の終わりを目の当たりにして、様々な気持ちが交錯した。



翌日、余韻に浸りながら、このイベント会場で購入した、録り下ろしの音源が収録された「劇情版」を聴いていた。

その内容が中村さんの誕生日を祝うというもの。

「あのメール募集はここだったのか!」と聴きながらようやく分かった。

CDを聴いていたら、なんと自分のメールが読まれていた。
本当に本当の最後の最後に自分のメールを読んでくれただなんて…。

2日連続でモモノキに感動させられた。


それを聴いていて「モモノキも自分の中では綺麗に終わったことだし、ラジオ関西はここまで…」と思い、気付いたらいちごまみれも聴かなくなり、10月からは同じ時間帯に中村さん1人だけの番組がスタートしたが、自分はモモノキに愛着がありすぎたからこそ、聴かなかった。

声優ラジオは主にA&Gのものだけ聴くようになったのである。


じゃあA&Gについては…、またこんな長文書くというのは別に良いんだけど、まずこの文章に何かしら反響が無きゃ書くことは無かろう。
2人ぐらいからいいねがあれば書くかも…。期待せず待て。



あとこんな自己陶酔系の文章に目を通してくれて本当にありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ

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