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呪い殺される前に

「思い出」と言われるものが好き。
映画の半券や、小さなハンカチ、チェキ、「絶対似合うと思って!」と貰った赤リップ、その小さな過去の分霊箱は、棚と壁の隙間に落ちてホコリを被っても尚美しい。
思い出は私に語りかけたりとか都合の良いことはしないけど、ただ他でもない私の為だけに存在し続けて、時に輝きとなって再会する。
それを私達は大切に、大切に、自分の一部として抱え身に纏いながら未来へ入っていく。
幼い頃走った草の匂い、開いて直ぐに消えた花火、あの子と喧嘩して殴られた痛み、殴った時の痛み、どれもこれも今となっては変えることの出来ない私の一部。

どんな嘘つきや犯罪者や権力者も、美しい思い出の前では誠実に胸が暖かくなるんじゃないかなと私は勝手に思ってる。
思い出は約束にとてもよく似ていて、過去を美しいとする事、自分の一部になっていく事、忘れてもそこにある事、沢山の共通点がピザを持った時のチーズみたいに繋がってるせいで、私は時々分からなくなる。
思い出の中で、キラキラと切実に生きる自分を裏切ってしまうような気がする時手を引っ込めるけど、同時に自分は思い出をミューズのように神格化しているだけで生きる上で変化は当然な事も知っているつもりだから、その瞬間にどちらが本物なのか分からなくなって体の内と外がグチャグチャになる。

そんな時私は、出来るだけ自然だと思う方を選ぶようにしている。一般常識とか、倫理とか一回脇に置いちゃって、生き物としてとか宇宙から見て自然だと思うやり方を考えて、それをやっちゃう。

そう、やっちゃう。

だから働くのも学ぶのも向いてない。
それでもバイトしてるし、日々出会う知らないモノには目を凝らしてる。
当然めちゃくちゃ間違えるし、ラッキーパンチで上手くいって勘違いしたりもする。でもそれをやっちゃうのは、何度も何度も自分とはどんなかを顧みて手を伸ばしたり引っ込めたりする内に、無意識に思い出で構成された「自分」を演じているだけみたいになるのが怖過ぎるから。あんなのほとんど呪い。
思い出を呪いと呼びたい訳じゃないけど、思い出を無意識に約束だと思い込んでからそれが呪いに変わるまでの速さは植物が成長する速度みたいに目には見えない。

私は誰にもなりたくは無い。
幼い頃、何者で居る必要も無かった自分が目に写す景色は発見とイマジネーションに満ちていた。それが歳を重ねるごとに段々と、経験として枠の中に収まり脳内の参考資料に成り下がる。
あの頃、幼い瞳に写った美しい景色を、美しいままにもう一度心に写したい。その景色に本当は値札が付いていたとしても、在り来りな理由があったとしても、種明かしなんて要らない。
お願い、私の大好きな「思い出」は、「思い出」のままで居て、高度で秀逸な伏線回収なんて望んでないから。
そういうのが欲しい時はラーメンズとかシックス・センスとか観るから。まじで大丈夫。

思い出が呪いに変わって、自分の胸元や口から伸びた鎖の檻の中から出られなくなるなんて悲し過ぎる。きっとその鎖はいずれ絡まりながら私の首に巻き付いて、私を殺すし。

だから柔らかく、逞しくなりたい。
ひらり、するりと、色々な物事の周りを周回しながらじっと見詰められる勇気と体力のある人になれるように。
太陽に照らされるならそれに手を伸ばそう、雨が降るなら大地のようにそれを受け止めよう、好きな人に大好きだと言って、悲しくて泣いて、やるせなくて腹を立てたらきっとお腹が空いて、今日はピザが食べたいな。最近ピザ好き。でも1枚は無理だから誰か呼ぼう、最近仲良しのあの人とか、いつもありがとうのピザパーティ。
毎日楽しい、毎日苦しい、愛おしいドミノ倒し。
呪いで死んだりなんかしない、思い出も大切に抱えながら、季節のように移り変わり行く心を愛しながら、時に一人で、時に誰かと手を繋いで歩く。
私達にはきっと、そんな「生きる」という魔法が使えるはずだから。

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