話せばながい空の広さ
東京の空は狭いとよく聞くが、私にとってはとても広い。それはもうだだっ広い。
入学したばかりの頃の中学校の校舎より広い。
どれだけのものなのか本当に知ってるの?その例え合ってるの?カッコつけてない?って言われたら、「ぇ、いや、別に...ていうか、その...ゴニョゴニョ」ってなるよ。それはあんたが優しくないだけ。やめて。
でも私は私なりに空の広さを知ってる。
私が産まれたのはオーストラリア クイーンズランド州 ケアンズ
とても住みやすくて、南半球なので一年中暖かい。海も近いからみんなビーチに遊びに行く。家から裸足で。普通にワニが出るから遊泳禁止の場所も多い。あいつら普通に陸に上がって追いかけてくる。怖い。
父はニュージーランド人
クライストチャーチっていう田舎のさらに田舎にネナとグランパ(お婆とお爺)が住んでる。
車で走っていると地平線が見えて、空と大地の境目までおびただしい数の羊がボーッとして草とか食べてる。\メェ/ 🐑
印象派の絵画、絵葉書の中の場所。
コロナの影響でもう何年も行けていない遥か南の美しい国の風の香りは、いつでも鮮明に思い出せる。日本の街を歩いている時、たまにその香りが鼻をかすめる時、私は故郷の風が海を越えてこの場所を通り過ぎたのだと思ってる。ただの気の所為や、似た香りと会っただけなのかもしれないけど。
日本に長く居過ぎているせいで英語のコミュニケーションを少しずつ忘れても、父の言っている事は全て分かる。家族同士だと言葉を介さずとも通じるテレパシーは言語を超えるらしい。
過ごした時間も場所も、出来事も覚えてる。
本当にあった事だと分かる。
とても幼い頃から飛行機に乗って3つの国を行き来しているけど未だに飛行機では酔うし12時間のフライト中に絶対2回以上吐く。
時差は4時間だから時差ボケはないけどエコノミーで12時間過ごし、そこから国内線に乗り継ぎやっと着いた頃にはヘロヘロのヘロだ。
機内食は全部吐いたからお腹空っぽだし肩幅ほどの席で寝れる訳ないし音楽を聴こうにも電波は無い。
唯一の安らぎは窓の外に広がる美しい上空の景色だった。どれだけの時間眺めても見えるのは青い海と空に佇む白。大陸の上を飛んでいても人はおろか建物すら小さ過ぎて認識出来るのはカーペットのような緑と黄土色。
でもその何処かに確かに沢山の人が居て、道が通って、営みがある。知っている場所へ向かっているはずなのにどれが何処だかわからなくて、幼い頃その事実に人知れず途方に暮れたのを覚えてる。
それでも、飛行機は必ず故郷に到着した。
迷うこと無く真っ直ぐと、空と呼ばれるあの真っ青な空間を進み、文化も言葉も何もかもが12時間前まで居た場所と違う国へ辿り着いた。
どんな時も空はちゃんと繋がっていた。
だから私は海を見た時、空を見上げた時、その青が続く先を思い浮かべる事が出来る。
ビルの隙間から、部屋の小窓から、流れる車窓から。
時速900kmで飛ぶ鉄の塊でさえ半日かけるような遠い場所に、確かに繋がってる人が居る。そこで生きた記憶がある。
それがこの地球を覆う空のほんの僅かな一端だとしても、生まれ落ちてまだ20余年の人間初心者がほざいていると思われても、空の広さを思う理由なら、私にはこれで充分だ。
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