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子どもの自殺を防ぎたい①学校の姿勢編

田畑栄一です。
コロナ禍を経て、若者の自殺・不登校の数が顕著に増加しています。2023年の小中高生の自殺者数は513名、過去最多と言われる前年の514名とほぼ横ばいでした。本来は夢や楽しさを友と共有し合える場所であるはずの学校が地獄のような場になっていて、落とさなくてもいい命であったのに、子どもが追い詰められ誰も助けることができず、一人で亡くなってしまう…耐えがたい事実です。また、それらを個人の資質のせいにするような世間の風潮にも、疑問や違和感を覚えています。

子どもが自ら命を絶つということの重さを教育界はもっと真摯に受け止めるべきです。教育改革の視点は、ここから始まるのではないでしょうか。一人一人の子どもたちが安心して学習できる環境を整えることこそ、学校が最優先すべき課題だと考えます。学校や教室に心理的安全性が担保されてこそ、学ぶ意欲や表現しようというエネルギー、チャレンジする活力が湧いてくるからです。願わくば、すべての学校がそんな場所であるように。教育漫才を唱える私の根底にある思いです。

今回は、私が掲げてきた「3つのなし学校(自殺・不登校・いじめのない学校)3つのなし学校(自殺・不登校・いじめのない学校)」の中でも「自殺」と「いじめ」に焦点を当てます。悲劇を繰り返さないために、最近のいじめによる自殺事案のどんなところに問題や難しさがあるのかを根底に置きながら 、学校がすべきことを3つの記事に分けてお伝えしたいと思います。


「いじめの定義」を明らかに

いじめによる自殺を防ぐには、そもそもいじめを防ぐこと。そして、いじめが起きたら適切に解決させること。そこへ導くには、そもそもいじめとはどんなことを指すのかを明確にしておく必要があります。平成25年に制定された「いじめ防止対策推進法」の第二条には、いじめの定義が以下のように明記されています。

当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。

文部科学省/いじめ防止対策推進法

一定の関係性がある子どもからの行為によって、被害者が心身の苦痛を感じていたらそれはいじめである。と示されていますが、子ども同士のトラブルすべてが「いじめ」かというとそうは言い切れないケースもあり、ここからさらに「けんか」と「いじめ」を明確に区分する必要があります。そこで、私はこのように示していました。

  • けんかとは、一時的な感情で、子どもと子どもが対等な関係でぶつかり合うこと。

  • いじめとは、被害者と加害者の間に力関係の差が生じており、また被害者の苦痛が継続的に発生していること。

この定義を先生や子どもたちの共通認識としておくことが重要で、トラブルが発生した際にこの考えを基にしながら「これはいじめかな?けんかかな?どちらだろう?」と先生が間に入り、双方の言い分を確認しながら話合いを進め、状況に応じた着地点へ導くことができるからです。

また、加害者が「いじめではない。そういう自覚はない」と主張する場合があります。それにより、担任はいじめではないと判断し、「君の思い過ごしではないか」と、逆に被害者を諭すなど、対応の緩さや甘さにつながる可能性があります。いじめでは、被害者は「いじめられている」と思っていても、加害者は「いじめている」と思っていないことも十分にあり得ます。これは、無意識のいじめなのです。これを防ぐには、「被害者が苦痛を感じたら、それはいじめなのだよ。無意識のいじめがあるのだよ」と加害者に教える必要があります。それが先生や保護者、大人の役目です。

学校側は被害者に100%寄り添う対応を貫く

私が校長を務めていた頃、いじめ対策方針として「被害者100%、加害者0%で対応する」と数値で具体的に表したものを掲げていました。学校は100%被害者に寄り添って対応する、という意味です。いじめにより被害者が命を落としたり、学校に来なくなってしまったりする可能性があるため、とにかくいじめをやめさせなくてはならない。だから「被害者100%、加害者0%」なのです。

「いじめられるほうにも問題がある」と言い出す人もいるかもしれませんが、この捉え方こそが、いじめがなくならない要因の一つです。被害者にも落ち度があるかのような捉え方をする人がいるから、加害者は「あの子をいじめてもいいのだ」「いじめられてもしょうがない」と勘違いし、「からかいだった」「遊びだった」と言い訳をしていじめを繰り返すのです。

同様に、文科省の認識である「いじめはどこの学校でもどの子どもにも起こり得る」というものについても同じことが言えます。実際にその通りだとは思いますし、いじめの認知件数が増えることは良いことです。ただ、この言葉を裏返し、学校や先生の中には「うちの学校やクラスでもいじめはあるけれど、それはしょうがないことだ。起きて当たり前なのだから……」と捉えてしまう人がいるのではないかと危惧されます。その曖昧な姿勢が、いじめがあっても仕方がない…という暗黙の空気を作り出す要因になります。学校や先生が、「いじめは許されない」という姿勢をしっかりと持つことこそ最低条件だと思っています。子どもの気持ちや事実を聞いていじめがあったと判断したときは、「これはいじめだから、やめなさい」と加害者にはっきり伝える必要があり、そのように先生が被害者を守り通す姿勢を多くの子どもたちが見ています。毅然とした先生のスタンスを子どもたちが受け取ることで、学級全体が、ひいては学校全体が、いじめを生み出しにくい雰囲気へと変わっていくのです。

学校は、子どもたちの心の安全を保障する場であるべきですから、そのために目指すところは現実的な中庸等ではなく、まずは理想を大きく掲げ、そこに向かって子どもたちを指導していくのが先生の役割であると考えています。②へ続きます。

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