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信達譚 「おん見 たいせつに して ください」

 四隅が黄ばんだ葉書を読み返した。

 ボールペンで書かれた母の文字は、形も大きさもまちまちだった。「こんばんわ」ではじまる手紙を、母は夜更けにしたためたのだろう。二行目の「すゝ」は、いかにも達筆だった母らしい綴り方だった。「何と言っても」と「身体」の後のいちばん大きな「番」という漢字を書き損じた形跡があった。四行目で「おん身」と書いているのは古めかしくて大仰な気がしていたが、小説を書いている息子に宛てた手紙だと思えば別におかしな表現ではない。一行目から読み返してみると、葉書に綴られた母の手紙は、筆跡こそつたないが、無駄なくきちんとまとまっていた。これほどしっかりした手紙を書くことができた母が、霊山の先まで歩いていったのか。二十五番地にあった我が家から霊山までは十キロ以上はあるはずだ。その先にあった帰宅困難区域に迷い込み、猛吹雪の山道で遭難しかかっていたなんて、いくら生まれ 育ったふるさとへ徘徊したまま歩いていったのだとしても尋常ではない。

 四隅が黄ばんだ葉書を裏返した。

 差出人の母の住所が消えている。まさか、ボールペンで書かれた文字が消えるわけがないだろうと唖然としたまま、葉書をよく確かめてみた。受取人の宛名と住所と郵便番号は几帳面な漢字ではっきり書いてある。差出人の母の名前も書いてあるのに、その横に書いてあるはずの住所だけが抜けていた。
 母の名前の上のところに、かすれかかった丸い消印が押してあった。窓から差し込む真夏の陽射しに白い葉書をかざして日付を確かめた。

「信達 **-**」

 不明瞭だが正式な消印だった。とすると、この葉書は受け取った時よりもかなり前に押されたのだろうか。半信半疑で葉書を裏返して見くらべてみた。
 裏面はつたない文字で綴られた母の手紙だ。
 表面は几帳面な文字で書かれた宛名と住所と消印だ。
 小さなマス目を凝視した。
 信達の9からはじまる郵便番号とはまったく違う数字が並んでいた。
 
 その上に書いてあるはずの母の住所がなくても届いたのだから、別に間違っていようが今さらどうでもいいのだが、郵便局で受け取った時から普通の葉書ではないと思っていたのに気づかなかった。窓口で説明されても意味がわからず父に電話をかけたいきさつは、自分で原稿に書いたはずだ。
 何度も何度も書いたはずだ。
 がんになった俺が死なずに済んだのは、母の葉書が届いたからだった。


 

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