「病臥録」 自覚と記憶
一昨日は早朝からゴルフの練習に行ったほど元気だったが、昨日は昼過ぎまで起きあがれずにいた。ふとんにくるまったまま、どこまでもどこまでもあっけらかんと晴れ渡った、乾燥した大気を眺めていた。前日よりは雲が増えている。福島は雪だろう。明日には行けるだろうかと思いながら、数日前に書いた原稿のことを考えていた。
「中咽頭がんが「発見」されたのは、がん検診でも人間ドックでも耳鼻科でもなくて、行きつけの歯医者だった。」
がんの話をすると、よく訊かれることがある。
いつ、どうやって見つかったのか?
自覚症状はあったのかどうか?
そしてたいがいはこんなふうに応えていた。
「いやあ、それが、最初は、口内炎ができたぐらいに思ってて、歯医者に行ったんだけど……」
嘘ではないが、「切り抜き」である。
前後の文脈が抜け落ちているというだけはない。どうとでも取れるような、よそ行きの話、をしているだけだ。
かといって、正確に覚えているのかというと、当時のメールや写真を確かめてみると、よく覚えていないどころか、都合のいいように過去を作り替えているのがよくわかる。
人の記憶というのもが、いかなるものか……ある日常の、なにげない瞬間が、前後の脈略とは切り離されて、ありありとした異様さを持って思い出されるのは、いかなることか。
ロバート・フランクの写真集に寄せた、埴谷雄高の一文を読み返すまでもない「個性とは、とりとめもない記憶の堆積による、なんらかの一貫性を持った、内界の連続性」……と書きながら思い出すのは、ジェフのことだ。
正月になる度に、まだ一緒に旅をしながら写真を撮っていた頃のジェフを思い出している。三年前に亡くなったジェフとはじめて会った時から、写真と書くこと、そして、匿名性と個性、現実と記憶と現前について、嫌と言うほど話をしていたのだ。写真がまだフィルムだった頃、同じ現場にいながら、こっちは後でも書けるというのに、ジェフはシャッターを押さなければならなかった。
ピザ屋みたいなクリニックの駐車場に車を突っ込んだのだから、口内炎でも、リンパでもなくて、帰京する前に、とりあえずぐらついてる奥歯を診てもらわないと、と思った数日前に届いたメールを読み返した。
五月末。とある編集者と新宿で会食。
あの時俺は、口内炎ができているのはわかっていたのだろうか? 酒を飲まなくなったから健康そうなMさんの顔を見ながら食事をしたのをよく覚えているぐらいだから、できていたとしても痛さはほとんどなかったはずだし、食事にも不自由はなかった。つまり、まるで気にしていなかった。
6月2日、福島で歯科医を受診。
そもそも、福島に帰省するたびに、友人のクリニック(歯科・口腔外科)に通っていたのは、奥歯を噛みしめる癖があったからだった。奥歯を噛みしめてばかりいると、歯の根元のあたりの歯茎が出っ張ってくるのだが、挙げ句に、ぐらついた右上の奥歯を二本抜歯していた。そのせいもあったのか、下の奥歯がぐらつきはじめていた。
やがて放射線治療のために、抜歯することになる右下の奥歯である。
このたった一本の奥歯の抜歯が、後々、あの水を飲んでも「痛い!」ほどの激痛の元になるなどとは、この時まだ思っているわけもない。
新宿で編集者と会った翌日に車を飛ばして福島に着き、歯を磨こうとして鏡を見ると、口の中の扁桃腺のあたりに、口内炎のような白い突起物がふたつできていた。
わずか数日の間に、痛さがはじまっていたのだが、痛いのは奥歯のせいだとばかり思っていた。そればかりではない。福島に着いた頃には、右の首筋のリンパのあたりが少し腫れているのにも気がついていた。
「これって腫れてないかな?」
家族に尋ねてもみたのだが、皆応えは同じだった。
「奥歯がぐらついてたら、そのぐらい腫れるって。あたしもよく腫れてるし」
腫れていたといっても、パッと見ではわからないぐらいだったので、言われるままに、まあそんなものだろうと思っていた。
ふと気づいて、さらに一年前にとある友人に送ったメールを確かめた。
2022年6月27日、リンパ種は遺伝性が結構強いので、血液検査をしてもらいました。
父親がなくなる数日前だった。父は震災の前にリンパ腫を患いながら再発せずに肺炎で亡くなったのだ。
妻に訊いてみたところ、その年の暮れにもリンパのあたりが腫れていて、福島の友人の歯科医を訪ねていたという。正確には、「顎のあたりがたるんでいた」らしいのだ。この時も家族に尋ねてみたが、大事ではないと皆思っていた。
いずれにしても、今にして思えば、兆候がこれほどあったというのに、己はおろか、家族の誰ひとりとしてがんになるとは思ってもいなかったのだ。まして、一年前や、半年前のリンパの腫れと、咽頭がんの因果関係について知る由もない。
そんなおれのがんを見つけてくれたのは、他でもない、友人の口腔外科医だったわけだが、今でもよく覚えていることがある。俺はいつだったか、海外の学会にまでよく出かけていた友人に、歯科医と口腔外科は、似て非なる者だという話を聞いたことがあったのだ。口腔外科となれば頸部郭清術手術に立ち会いもする。「がんの患者さんが来たらわかることもあるんだけど、自覚症状があって訊かれれば伝えるけど、それってよほどのことだから」と話していたのを覚えていた。
リンパが腫れていて二回も診てもらい、血液検査をし、突起物ができて、また首筋が腫れていたのに、がんはもちろん、がんの告知を受けて、治療をはじめ、ICUに運び込まれるまで、まさか「がんがリンパ節に転移している」などとは思っていなかった。
インフォームドコンセントの用紙に「リンパ節転移」とは書かれていなかった。
放射線治療では、原発巣以外に、リンパ節にも照射するという説明を受けていた。
敗血症で運び込まれたICUで担当医からリンパ節転移を知らされた。はじめて知ったかのように愕然とした。
こうして並べると、文脈もない、「切り抜き」のようだが、今でもありありと覚えている瞬間ばかりなのだ。
5月末、ぐらついた奥歯のまま、新宿で会食をして、酒を飲み、父の一周忌の法要の前に墓石を選ぶのに福島に帰り、友人の歯医者に行った、というのが、俺が記憶している「自覚」症状だった。