AIと執筆の事
AIと執筆、という題名を書いたそばから「どうぞご自由にお書きください」という、どこかプロンプトめいた一文が、本文の欄に表示されるのが、このノートというUIなのだが、俺は今、こうしてUI上で文章を書きながら、左にずっと見えている、+、 が気になって仕方ない。改行をしてもずっとついてくるのは薄々わかってはいた。
ほら!
どうも苦手だ。
もしここで、+、を押してみれば、メニュー一覧が表示されて、いちばん上のあたりに、AIアシスタントというものがあったはずだが、まだ使ったことはない。
対話型にしろ、言語モデルにしろ、AIを使って文章を書くというのは、実際にやってみると、かなり疲れる作業である。
とてつもないスピードで生成されるそばから、リソース化されているのかもしれない、もっともらしく、かなり整った「日本語のような文章」を、もとより読めるわけもない。ただ眺めていると、思考すらできない頭がからっぽになって、バカになったみたいだ。
改行するごとに、 +、がついてきてくれるぐらいならいいのだが、LIVE変換は使っていないのに、コピペをしようとすると、フロートまで出てくるのを今さらのように知った。
コピペで挿入しようとした一文は……となんだか「AI構文」のようで薄気味が悪いのだが、とかいう書き手の事情はいいとして、
俺はそんなに、早くできていないのだ。
これがAIと執筆にまつわる問題のひとつなのだが、 この、+、は読んでいるほうには「見えない」のだと、読み返してコピペしながら、ようやく気づいたぐらい、遅いのだ。
上の一文をAIで校閲にかければ、もっとまともな日本語に書き直してくれるのだろうが、俺はこの文章を、いつものように、ほとんど書き直さずに書いている。AIと比べれば、かなり遅いスピードなのだが、小説を「速読」したくもなければ、随筆……と書きかけて、随筆と小説について考えている。
先日、タイからメールがあった。
「AIは、しれっと、嘘をつくから、嫌い」
この指摘は、二重の意味で、あたっている。AIに正確さを求ること自体、どうかと思うのだが、いずれは解決されるかもしれない。二重の意味で、と書いたのは、正確性や、ハルシネーションでもない。都合の悪いことには答えないのがAIなのだ……と書きながら、あるウエブサイトを思い出した。
嘘をつくというのなら、虚構、つまり小説はどうか? と当然のように考えた。ある程度までは書けそうだが、小説は必然である。俺がなにを書こうとしているのかまでわかるはずもないと思っていたが、私信のメールやスマホの写真までひっくるめたら、どうなのか? 訊いてみるまでもない。
「がんと刀」について書くまえに、今から正月用のスルメを、ハサミで、切らねばならない、というのが、虚構ではない、現実である。