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違う冬のぼくら(ゲーム感想)
このnoteでずっと書き連ねて、ぐじぐじ拗らせている相手がいるわけですが
この約束が、「違う冬のぼくら」というゲームを一緒にするということでした
どことなくノスタルジックな雰囲気が漂う謎解きパズルアクション
特徴的なのが必ず2人でプレイしないといけないということ。
片方の画面だけ、操作だけでは先に進めず、ギミックの解明のために、お互いの意思疎通がキーとなるゲーム
誘った時には 内容を2人でプレイするゲーム(ホラーではなさそう?)、とぐらいしか知らなくて
でもなんだか妙に今これをプレイしていることに意味を感じてしまう
冒頭、かつて親しくしていた友人と疎遠になってしまったきっかけの出来事を思い出すところからストーリーが始まるのだけど
わたしはこれきりできっと相手と疎遠になるだろうなという覚悟を密かに抱いてゲーム機を握りしめていて。
実は用意してもらった時間ではまだクリアできてなくて、まだゲームは終わってない
から、わたしたちの関係も、まだ終わってない
どうやら複数ありそうなエンディングのうち、そのどれにもまだ辿り着いていない
ここに、まだゴールに辿り着いていないからこその所感を書き留めたい
※ クリアしてないので核心的なネタバレはないと思いますが、あまり前情報を入れずにプレイした方が楽しいゲームだと思うので、少しでもやってみたい方は以下を読まない方がおすすめです ※
このゲームの最大の特徴は、途中から同じ場面にいるのに、それぞれの視点で見えているものが違ってしまうことだ
相手にだけ場所を動かせて、自分にだけ使えるオブジェクト
自分の方にはない足場 相手の方にだけある障害物
相手にだけ許された能力
そして自分にしかできないこと
突破するためには、何がどれだけ違うのかを共有することが大事なんだけど
わたしが懸命に自分目線で見えているもの・知る情報を一生懸命相手に伝えようとする一方で、
相手はわたしの状況で何を知り得ないかを考えるという発想がそもそもなさそう ちなみに聞いたら教えてくれる
でもこれ、協力の仕方が違うんだなと思って
わたしは相手の目線に立って相手に何が見えているかを想像しながらコミュニケーションの齟齬を埋めようと働きかけてるけど
相手はたぶん違う
とにかく、自分のできることをきちんとやる、と
あなたはあなたの役割をやってくれ、と。
こちらが行き詰まれば適宜指示する、と
そんな感じ…?ちょっと違うかも
わたしはけっこう全体像を知りたい
全体像を知りたい感じは共通してる気はするんだけど、相手は全体像を知るのに他者の目線は要らないって感じなのかな
わたしにとっては必要不可欠なんだけど…
謎解きのための思考とそれを実現するアクションが両方必要なんだけど、
自分はそのアクション部分に寄与できない場面が多くて(これは選んだキャラに起因して)、わたしが楽する一方で難易度の高い操作をしないといけない相手は アクションをこなすのにリソースを割いてる側面もある、きっと
相手が奮闘している場面が完全に画面外だったりして(どういう状況かの実況が基本ないからまじでわかんない)
自分が行なっていないこと・意識外にあることは過小評価してしまいがちだから気をつけたいところ(ふだんから気をつけているところだけど)
ただのゲームなのに2人の関係の縮図のようなのがおもしろいな
これたぶん例えばSe優勢の人とやったらまた全然違ったプレイ体験になるんだろうな
(わたしたちはNi優勢Se劣勢コンビ……)
あと、相手のミスは全然気にならないのに、自分のミスはめちゃくちゃ申し訳ない…
ミスするのが怖い
比較的クールなキャラクターがわたしの操作キャラで、情緒的なキャラクターが相手の操作キャラで、
わたしのキャラが「そんなのお前には関係ないだろ!」と突っぱねて
相手のキャラが「(好きだから)きみにぼくは関係ないかもしれないけどぼくにきみは関係あるよ」
みたいに言うシーンがあって。
突っぱねられがちなわたしは妙に相手キャラに感情移入しちゃってたのですが
相手も「そうだそうだ!」みたいに言ってて
君がそれを言うのか、と、笑っちゃった
続きやるチャンスあるのかな?
誘う勇気がもうないので、流れちゃうならそれはそれで 続きができたら嬉しいけど
結末(ゲームの中の友だち2人の別離)を見届けたくない気持ちもあり