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老子 第10 章 隠された徳 

老子の教えから、今、私の見ているこの世界のことを捉え直していこうと思います。

本日は第10章🌟
隠された徳について書いてあります。

魂を載せる心と体を一つにし、離さずにいられるだろうか。
集中しながらも柔軟さを保ち、赤子のようにいられるだろうか。
心の鏡を洗い、傷のない状態にできるだろうか。
人々を愛し国を治めながらも、人に知られずにいられるだろうか。
万物が生まれ消滅し変化するとき、静かに受け入れることができるだろうか。
全てのことを知りながらも、何も知らないように振る舞えるだろうか。
ものを生み出し育てながらも所有せず、何かを成し遂げても見返りを求めず、成長させても支配しない。
これらを「玄徳(隠された徳)」と言う。


前回に引き続き、謙虚さについて学ベますね。



日本には「勝ちを譲る」「負けるが勝ち」という諺があるけれど、

一時は相手に勝ちを譲り、しいて争わないのが、結局は勝利をもたらすということ。

「負けるが勝ち」 ー goo辞書

映画でも漫画でもこういうキャラクターっている。
自分の手柄で世界平和に導いたのに、自分の手柄にしない奴。

あぁ、この人は勝ちを譲ることのできる人だっていつも思う。

「自分のやるべきことをやったまで。」みたいな潔さを感じる。




競技の世界でもよく目にしていて、
スポーツ選手の勝利後のインタビューとかを見てても、
「すべては支えてくれた誰々のおかげです!」とか、神に感謝の祈りを捧げる選手が多い。果てしなく血の滲む努力をした自分がいるはずなのに、明らかに自分以外の誰かに勝ちを譲っている。

勝ち負けが発表された後に、今まで競ってきた選手同士が心から讃え合えるシーンも胸が熱くなる。



自分のプライドを超えた、
もっともっと大きな力があるようにしか見えない。
まさに隠された徳のようなもの
☯️

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