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老子 第8章 上善水の如し


老子の教えから、今、私の見ているこの世界のことを捉え直していこうと思います。

本日は第8章🌟
上善水の如しについて書いてあります。

最高の善は水のようである。
水は万物と争うことはなく、人々が嫌がる低い所に落ち着く。故に道に近いのだ。
住むところは大地の上がよく、心は深いのがよく、人との付き合いは思いやりを持つのがよく、言葉にはうそがないのがよく、政治は平安に治めるのがよく、物事は自然に委ねるのがよく、行動は適切な時機にかなっているのがよい。
そもそも争わないから、咎めることも無いのだ。


「そもそも争わないから、咎めることも無いのだ。」
この言葉、すごく印象に残ります。



アメリカのどこかで、配達員が荷物を投げ、物が壊れて困っている家主の動画を見ました。

最初の家主の行動というのは、配達員が荷物を投げている現場を動画に納め、ネットにアップするというものでした。

そしたら、その配達員はネットという場所に晒され非難を浴びてしまうわけで、、、不満だらけの配達員が荷物をもっと激しく投げる状況になった。

そこで、家主はTHANK YOUと書いた氷の入ったボックスを用意し、中にペットボトルとお菓子を準備したそうです。

それに気づいた配達員は、荷物を投げることなく、家主と関係が悪化することもなかった。平和的に解決したそうです。



誰かが「北風と太陽だね」とコメントしてました🌪️🌞
ほんとだなぁって。


この動画の学ぶべきところは、
家主が争う心を無くしたことだと思います。
容認することとは全く違っていて、自分の中の争わない心が純粋な行動となって現れたよい例だと思います。)



水というのは、上から下に流れる。

純粋な意識が目にみえる行動となって反映される。

柔軟で、それでいてパワーを秘めている。

☯️

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