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井上トロと喪失体験
5月6日はトロのお誕生日でした。
前回に引き続き、「どこでもいっしょ」の井上トロについて語ります。
「どこでもいっしょ」はポケットピープル(通称:ポケピ)と呼ばれるキャラクターに名前をつけて、言葉を教え、会話を楽しむゲームです。
私は猫のトロばかりを選んでいました。
贈り物をしたり、部屋で自由に過ごすトロを眺めたり。毎日描いてくれるトロの日記を楽しんだり。
とても穏やかで優しいゲームです。
でも、このゲームにはお別れがあります。
一定の日数が過ぎると、トロは人間になるという夢を叶えるべく、旅立ってしまうのです。
説明書には袋とじのページがあり、そこに書かれていたようですが。私はこのページを読んでいませんでした。
ある日、お部屋に帰って欲しいとトロに言われて、ゲームを立ち上げたところ、いきなり私への別れの挨拶が始まりました。
トロが部屋を出て行き、エンドロールが流れ、最後には誰もいなくなった部屋に残されます。
驚きました。
悲しくて、寂しくて、理解できなくて、受け入れられなくて。
…私は、母の職場に電話しました。
大泣きして、嗚咽しながら。
小学一年生から鍵っ子で、何か困ったことがあったら電話しなさい、と母の職場の番号を覚えさせられていました。
家で留守番しているはずの小学生の娘から、泣きながら電話がかかってきたわけだから、母も、職場の人も、さぞかし驚いたことでしょう。
私は気が動転していて詳しくは覚えていないけど、「ド〜ロ〜がぁぁぁ、いな"ぐな"っぢゃっだぁぁぁ〜」みたいな電話。
だって仕方ないじゃない。
とっても困った出来事だったんだもの。
それまでの10年の人生で、一番大変な出来事だったんだもの。(幸せなことだな…)
この別れが悲しすぎて、新しいトロで再びゲームを始めても、なんだか違うのです。
このトロは、あのトロではないのです。
何度か繰り返し、トロを迎えましたが、そのうちメモリーカードがそれまでのトロたちの思い出の日記でいっぱいになってしまって、ゲームをやめました。
たかがゲーム、されどゲーム。
この喪失体験は、間違いなく、私の人格形成に大きな影響を及ぼしています。
一度失うともう二度と取り戻せないもの。
悔やんでもやり直すことのできないもの。
どんなに望んでも手に入らないもの。
私に最初に教えてくれたのは、井上トロだった、というわけです。
大人になってから、PlayStation vita版の「どこでもいっしょ」を何度かやりましたが、やっぱり別れが辛くて、最近はもうやっていません。
それでも。
子供の頃には行くことが叶わなかった、イベントに出かけたり、お小遣いでは買えなかったグッズをたくさん買ったり。
あまり熱心なファンではないけれど、ずっと、トロを愛で続けています。
オノミチ