森博嗣『ηなのに夢のよう』『ジグβは神ですか』『捩れ屋敷の利鈍』
森博嗣さんの描く天才・真賀田四季(四季シリーズ)が気になって、手に取ったGシリーズの『ηなのに夢のよう』と『ジグβは神ですか』でしたが……、この2冊だけでは四季の幻影を追うだけにすぎず……、結局、現在進行中のGシリーズ後期三部作(第二弾まで既刊)が気になってしかたがなくなるという森さんの掌で転がされた読書体験でした(笑)。
『ηなのに夢のよう』
『ηなのに夢のよう』は、ミステリーの明解な種明かしもないままに終わってしまい(謎解きに主眼がない印象)、四季との関連性もフワッとしています。オールスターを登場させる中で、西之園萌絵(私が読んだ森作品の全てに登場してきていた)の転機を描き切るファンサービスの一冊なのかなという印象でした。とは言え、森さんならではの奥行きある死生観を面白く読みました。
『ジグβは神ですか』
『ジグβは神ですか』は、宗教・芸術・戦争などへの言及を興味深く読んだのですが、四季に少し接近し、四季シリーズの『冬』への展開を予想させるものとなっていて、もしかすると、Gシリーズ三部作が『秋』と『冬』の長い期間を埋めるものになっていくのでは……と勝手に想像し、ワクワクしてきました。真賀田四季については、後期三部作の完結を待って、一気読みしたくなりました。
『捩れ屋敷の利鈍』
〈おまけは…〉四季シリーズ『夏』で気になっていた事件を描いているのが、Vシリーズ『捩れ屋敷の利鈍』です。
Vシリーズ・保呂草潤平とS&Mシリーズ・西之園萌絵が、事件の真相に至る密室ミステリィです。こちらも、ファンサービスのオールスター登場作品系の一冊で、四季シリーズで明らかになる瀬在丸紅子と犀川創平の秘密(!?@驚き)の関係が、既にこの作品から臭わせられていたのだと分かり、どちらを先に読んだとしてもファンが喜びそうな趣向だなと感じました。
個人的には、「芸術とは、そもそもが役に立たないもの」としながらも、物語の中で展開される保呂草(芸術を盗む側)の存在や考え方を面白く読みました。
と言いながらも、「人間の小ささを、少しでも集めようと」している保呂草。また、「人生という仕事をやり遂げるための道具が、個人の躰と右脳そのものである、つまり、私たちの存在すべてが道具なのだ」と考え、道具を選ぶと言うことを、「可能な最良の筋道を選ぶことと等し」いとする彼の美学を好ましく味わいました。