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帚木蓬生『閉鎖病棟』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2021.01.11 Monday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

第8回 山本周五郎賞受賞作で、笑福亭鶴瓶✖綾野剛✖小松菜奈✖平山秀幸監督で2019年に映画化された『閉鎖病棟―それぞれの朝―』の原作本です。映画を観た時に、閉鎖病棟というよりは、開放病棟の人々の話というような印象だったので、タイトルの意味を含めてぜひとも原作で確かめてみたくなって手に取りました。

原作本は、平成6年発行作品で、かれこれ25年以上前に出版されたものでした。小説の主人公は(映画では綾野剛さんが演じた)チュウさんなのですが、映画の主人公(笑福亭鶴瓶さんが演じた)秀丸さんと同年代の60歳を超えた人物です。また、その他の人物の年齢設定も映画とは違っている人物も多く、それぞれの背負っている過去も(秀丸さんですら)違っていて、映画は原作の大筋は借りてはいるものの、より現代を写すため、またよりドラマチックな展開になるように、映画的にリライトされた作品だったのだなと感じました。読者としては、人物の設定が異なっているため、読み進むにつれ映画の役者さんたちに自動変換されることがなくなっていき、最後は独立した小説として読んでいました。

原作を読んで、「閉鎖病棟」というタイトルの意味がやっと腑に落ちました。小説は、以前は閉鎖病棟にいたものの、現在は開放病棟に移って生活している人々が様々に登場し、病院を退院していく昭八ちゃんや敬吾さん、チュウさんなどのように、最終的に世の中へ再び出ていく姿が描かれる作品でした。

そんな中で、印象的なのが、開放病棟を出て行こうとする人々の前に、「閉鎖病棟」的なものが立ちふさがっていくことです。物語の核となる秀丸さんが引き起こした殺人事件も、本来ならば「閉鎖病棟」にいるべきでありながら、力で病院を脅して自分の願望を押し通す重宗という存在故のものですし、また、事件後の秀丸さんが再び入ることになった独房も「閉鎖病棟」的場所でした。

チュウさんに罪を犯させないために、また、「閉鎖病棟」的存在(父や重宗)によって何重にも苦しめられてきた島崎さんを救うために秀丸さんがおこした殺人事件。その秀丸さんを救おうと法廷で証言するのが、退院して自由な生活を手に入れたチュウさんであり、同じく自分の道を見つけた島崎さんであるのも、この小説に一貫した閉鎖からの開放を象徴していると感じました。

原作『閉鎖病棟』は、「閉鎖病棟」的場所から、何とかして自らの力で歩み出ていこうとする物語、自分自身をつかみ取ろうとする人々の物語です。もしかすると、映画が開放病棟的生活をメインに描きながらも、「閉鎖病棟」というタイトルであったのは、(原作のタイトルであったということ以上に)映画では彼らの自由な旅立ちを阻害しようとする世間そのものの存在に焦点を当てることで、彼らの前に立ちふさがる世間を隠喩的に「閉鎖病棟」と表現しようとしていたのかもしれません。