井伏鱒二『黒い雨』
本日8月15日は「終戦の日」。日本俳句教育研究会(nhkk)の旧ブログ記事の移行が完了し、気分も新たに公式note「図書室」に投稿するのは、井伏鱒二『黒い雨』です。
広島の原爆を扱った記録的作品で、第19回野間文芸賞を受賞しています。タイトルとなっているのは、原爆投下の20分後くらいから降った黒い雨です。この黒い雨に濡れた人、雨で汚染された水を飲んだ人が放射線障害をきたしたことはよく知られています。実は、私の誕生日が原爆忌の8月6日ということもあり、以前から読んでみたいと思いつつ、手を出せずにいた作品でした。
『黒い雨』は、昭和40年1月号~41年9月号まで『新潮』で連載されたのですが、スタートから40年の7月号までは「姪の結婚」というタイトルで、8月号から「黒い雨」へ改題されたようです。物語は、主人公閑間重松が、戦後に持ち上がった姪の矢須子の縁談に際して、彼女が当時広島市内にはおらず、原爆病でないことを証明しようと、彼女の日記を清書することから始まります。「黒い雨」と改題されたのは、姪だけでなく、家族や医師などの日記や手記をメインに据えながら、原爆投下から終戦日までの広島の様子を描いていくという構成のためだろうと感じました。
重松自身、軽症の原爆病患者ですし、姪の矢須子も、結局原爆病を発症し、破談になってしまいます。『黒い雨』に描写されていく彼女の症状がリアルで、絶望的で、放射能の人体への影響の恐ろしさや、どんな兵器をも躊躇せずに使ってしまう戦争の恐ろしさを感じずにはいられません。もちろん、原爆投下後の、広島の様子も未曾有の状況です。
「頭から流れる血が、顔から肩へ、背中へ、胸から腹へ伝わって、どず黒い血痕をつけている者」「両手をだらりとたらし、人波におされるまま、よろめきながら歩いている者」「他人の子供だと気がついて、『あッ』と叫び、手を振りはなして駆け去る女」「子供の名前を連呼しながら~突きのけた人から二つ三つ殴られた」親爺。将棋倒しに倒れる悲鳴や、血だらけの赤児をおぶって、殆ど裸体で歩いていく若い女……などなど、枚挙にいとまはありません。
『黒い雨』の大部分が引用という形式をとっていることについては、井伏鱒二自身も、自選全集を編むときの「覚え書」で、
といっていることもあり、「日記をリライトしたもの」にすぎない、とする向きもあるようです。(猪瀬直樹『ピカレスク 太宰治伝』)
しかし、この作品によって、あの日のヒロシマにいて、一瞬にして想像もしなかった悲劇に直面することになった人々の生の姿が、私たちに届くことになったことは間違いなく、原爆文学としての評価を下げるものではないと思いました。むしろ、日記や手記、という形だからこそ、淡々と描くことが可能となっていて、目を覆いたくなる現実を突きつけることができていると感じました。
個人的に、一番印象的だったのは、重松が、15日に皆と一緒に玉音放送に耳を傾けることをもせずに、徹った清冽な水を遡っていく無数の小さな鰻の子の群に気づく場面です。先行きの不透明な終戦の日の一点景ではありましたが、将来へのかすかな希望が予感させられる一コマとして読みました。(八塚秀美)