フワンソワーズ・サガン『悲しみよ こんにちは』
山田詠美さんが、対談などでよくサガンに言及されているので、ずっと気になっていたのですがやっと手に取ることができました。
『悲しみよ こんにちは』は、サガン19歳の時に書かれた処女小説だそうですが、初読みの時よりも、結末を知った上で読み直した時の方がより面白く、巧みな伏線の張り巡らし具合に驚かされました。中でも伏線という意味合いで特に心震えたのは、物語が動き出す前に、主人公の18歳のセシルが感じていたオスカー・ワイルドのことばに関するくだりです。
この引用があることによって、物語のラストでセシルが直面する「悲しみ」でさえ、(それが彼女の罪から生まれたものであるためなおさらに)何らかの彩りを付け加えるものとして描かれているような気がしてきました。サガンは「悲しみ」を決して否定的なものとしてだけ描いたのではないのだろうと。
そう考えると、また、当初セシル自身が理解しがたく、感心がないものとして挙げられていたベルクソンの
の一文も、ラストのセシルにとっては、まさに(想定外の結果をもたらした)自分自身の行いそのものに降りかかるものとなっていて、象徴的な引用であったのだと感じました。
セシルが自分らしい選択を重ねていきながらも、それが彼女の予期しない結末へとつながっていくストーリー展開の中で、彼女の心情描写が(伏線のように)丁寧になされているところに、18歳という若さ故の「残酷さ」と「もろさ」が際立つ作品となっていると感じました。