寺山修司『あゝ、荒野』
2017年公開の菅田将暉とヤン・イクチュンのW主演の映画『あゝ、荒野』の原作本が、寺山修司唯一の長編小説だと知り、迷わず手に取りました。
映画は、綺麗ごとでは済まされない現実を、暴力的といえる様々な要素を盛り込んだ設定の中で、俳優陣たちがリアルに演じた前後篇5時間の大作でしたが、それ故メッセージも多く、物語の収拾の仕方や解釈に考え込まされ、それがまた魅力の一つでもある作品でした。
原作の結末はまさに映画と同じですし、映画の背骨になったと思われる「誰かに責任をのこして、そいつとの結びつきのなかで死にたい」というメッセージもしっかり書かれているのですが、印象は少し違っています。当時流行の歌謡曲の一節や小説や詩のフレーズなどを散りばめられた原作は、あとがきにも「登場人物がどう動いてゆくか」を「即興描写で埋めて」いったとあるように、寺山自身が流れの中で登場人物を自由に動かし、私たち人間(読者)の、「荒野」(という現実)に生きるナマの感覚を呼び覚まそうとしているかのように感じました。映画では驚きで受けたとめた結末が、原作ではよりもの哀しいものに感じられたのも、呼び覚まされたナマの感覚のせいかもしれません。また、各章の初めにおかれた寺山修司の短歌も象徴的で、ストーリーとの距離感が絶妙です。
映画ならではの、登場人物の設定の変更や、作り込まれたエピソードの数々は、岸善幸監督が原作から受けとったナマの感覚で解釈し生み出された新しい「荒野」の世界だったのだな、と改めて感じました。