動詞をバグらせる
会社員だった頃の話である。
プロッター(印刷機)の紙が切れて
倉庫から新しいロール紙を運んでいた。
重かった。
ぼくは「50mを持った」のである。
不思議な感覚だった。
(※ロール紙とは : 何十m分もの紙が巻物状になっている印刷用紙のこと。)
それから何ヶ月かたったある日
家に新しい掃除機がきた。
ダイソンである。
ダイソンを手にもつ父に
母が最初にお願いしたのは
玄関を「ダイソンと散歩する」ことだった。
このときダイソンは
掃除機ではなくペットとして
扱われたのである。
この日から父は
慣れない掃除を毎日続けているし
いつでも隣にダイソンを置いている。
もはや父にはダイソンが
掃除機ではなくペットに
見えているに違いない。
ここでふと
「50mを持った」という
何ヶ月か前のメモを思い出した。
このとき、ぼくは
「動詞をバグらせる」ことに
可能性を感じていたのである。
「動詞をバグらせる」と不思議な感覚になる。不思議な感覚になるということは、この世には、まだ存在しない価値観である可能性が高いということである。
新しい価値観を実装するには
精度の高い実験が必要であるが
それでもぼくは
ここにデザインのヒントをみた。