昭和30年代男 日本経済を愚痴る(1)
日銀がゼロ金利解除を決めてから一夜明けた3月20日春分の日、朝日が燦々と輝く青空とは対照的に、私の心はどんより厚い雲が垂れこめていました。日経平均株価は4万円を超えて平成バブル期をしのぐ高値を更新し、春闘の賃上げ率も5パーセント超とバブル期並みの水準になるという明るいニュースとは裏腹に、「ああ、これでもう、私が生きているうちに日本経済が世界の頂に立つことはないんだなぁ」と思ったからです。
2024年3月19日に日銀から発表された金融政策の枠組み変更については、各種報道によって周知されていることなのでここでは触れませんが、経済成長を重視する立場の論客からは総じて否定的に論評されています。もちろん経済成長を重視する立場の論客の中にも肯定的に論評している方もおられますし、その方々が論評されているとおり、今回の金融政策の枠組み変更が上昇基調の日本経済の腰を折る可能性は低いように思います。すなわち、今後の日本経済は長らく苦しんだデフレに戻ることはなくインフレ基調が続き、日本経済は拡大し、日経平均株価も多少上下しつつも上昇していくだろう・・・とは、私も思います。
でも、私は昭和30年代半ばに生まれていますので、「世界に冠たる日本経済」という言葉が自然に聞こえていた時代には、すでに社会人になっていました。初めての海外旅行は1989年にシンガポール、2回目は翌1990年に香港に行きましたが、この頃の日本経済は、まさしく「世界に冠たる」ものでした。決してバブルに乗じてひと山当てたわけでもなく、バブルに浮かれていい思いをしたわけではありませんが、新婚旅行で海外へ行かなかった(行けなかった?)私にとって、数年後に海外旅行ができるなどとは考えておらず、生まれて初めてパスポートをとってゴールデンウイークの成田空港から台北経由のシンガポール航空機で飛び立ったとき、「いい時代になったもんだなぁ・・・」としみじみと思ったものです。
このときのシンガポールは日本人にとっては買い物天国とされ、多くの日本人観光客が高級ブランドの買い物袋を片手にオーチャードロードを闊歩していました。そうした様子を同じ日本人でも眉をひそめて見る向きもおられましたが、一般庶民である私は、すなおにオーチャードロードを歩きながら「いい時代になったもんだなぁ・・・」あるいは「日本人に生まれて良かったなぁ・・・」などと思ったものです。それはとりも直さず日本経済が「世界に冠たる」ものであった賜物ですが、そんな日本経済の絶頂期は長く続かず、バブル崩壊後の日本経済は延々と低迷し、気がつけば「安いニッポン」になって今日に至っています。
それでもコロナ禍後は、今後日本経済は成長を続け、再び「世界に冠たる」という枕詞がつくかもしれないとの淡い期待をいだいていました。しかし、今回の日銀による金融政策の変更と、その事前報道の様子を見るにつけ、もはや日本経済が世界の頂に立つことはなかろうと思うに至りました。もちろん長い目で見ればその可能性はあるのかもしれませんが、おそらくその時、私はこの世におりません。
私は経済の専門家ではありませんので日本経済に関する詳しい論評は出来ませんが、日本経済の絶頂期から令和までのサラリーマン人生は、良くも悪くも日本経済の荒波に翻弄されてきました。今さら世直しが出来るわけでもありませんが、日本経済については愚痴りたいことが多々あります。そんな愚痴を、これからしばらくこのnoteでつらつら書き綴っていきたいと思います。
この原稿を書いている間に、いつの間にか空は厚い雲に覆われてしまいました・・・。
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