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昭和30年代男 日本経済を愚痴る(9)

 私の目が黒いうち・・・というのは、あと20年ぐらいです。よく人生100年時代とか言われますが、男性の平均寿命は81歳ですから、そんなものです。
 平均寿命は過去年々伸びていましたが、令和になってからピークをつけ、その後は2年続けて減少しています。この先、再び伸びる可能性もありますが、平均寿命で90歳から100歳に近づく・・・ってなことはないでしょう。今の日本経済は頂上から千尋の谷に落ちたまま、ちょっと登っては落ち、また登って落ち・・・を、30年間くり返しているうちに正規の登山道を登っていた諸外国から追い越されたようなものですから、この差を20年で埋め、崖を這い上がって再び諸外国と肩を並べるのは不可能というものです。なぜならば、バブル崩壊から20年以上わが国の経済運営は、みごとなまでに自爆行為の連続であり、この是正を政府当局もマスコミも、まるで無頓着・無関心だったことを体感しているからです。
 この政府当局やマスコミの態度が国民不在で形づくられるわけがありません。つまりバブル崩壊後からの20年間の経済運営は、そのままわが日本国民が望んでいた政策であり、総意ということになるからです。もちろん、国民個々人では、そんな気などまるで無かったと言われる方が多いでしょうけど、わが国は民主主義国ですから選挙で政治家を選び、新聞を買い、テレビを見てれば、そりゃあ国民の総意が国民個々人が思いもよらないものになりましょう。
 そのわが国民の総意は、バブル崩壊からアベノミクスが始まるまでの約20年間、とんでもない経済運営を支持していたと私は感じています。アベノミクスにしても二回も消費増税し、そのたびに景気は冷え込んでいます。今は株価も史上最高値を更新し、日本経済はデフレを脱したと言われていますが、これから日本経済が諸外国以上に力強く回復する・・・ってなことは考えにくいですから、とても諸外国に追いつくことができません。結局ちょっと登っては落ち、また登って落ち・・・は、たぶんこの先20年も続くでしょうから、もはや私の目の黒いうちには、日本経済は私が若い頃のような輝きを取り戻すことはなさそうです。
 1993年の夏、私は初めてハワイへ行きました。正確な日付は今となればわかりませんが、たぶん7月。ノースウエスト航空で往復し、宿泊したのはハイアット・リージェンシーでした。このときの円ドル相場を調べてみると、1993年7月の平均で107円ほど。感覚的には結構な円高でハワイの物価がずいぶん手頃に感じていたものです。為替相場もさることながら、日米の物価そのものもそれほど大きく違ってはいなかったのかもしれません。
 そんな時期でしたが、このとき私は小沢一郎氏が著した「日本改造計画」を持ちこみ、ホテルのプールサイドで読みふけっていました。今、改めて調べてみると6月18日に国会では宮沢喜一首相の不信任案に小沢一郎氏らが率いる派閥が造反して可決され、7月18日の総選挙では自民党が過半数割れして宮沢首相が総辞職。8月9日には八党派連立の細川護熙内閣が成立しています。私のハワイ旅行がこの選挙の前か後かの記憶はありませんが、この総選挙で私は投票所に足を運んでおり、日本新党の候補者に投票しました。
 私は「日本改造計画」を買って読んでいたからもおわかりのとおり、このときの私は既存の自民党政治では日本は良くならないと思っていました。株価も地価も大幅に下落したまま戻らないのは宮沢首相、三重野日銀総裁が愚策を続けているからだとの認識があり、これを何とかしてもらわないと日本経済は大変なことになる・・・との危惧をいだいており、無能な首相と日銀総裁をクビにして日本経済を復活させてくれるのは小沢一郎氏だと思っていたのです。結果、そんな期待は裏切られ、日本経済は地獄を見るわけですが、この感覚は日曜日の朝に竹村健一氏と田原総一朗氏のテレビ番組を見ていた方にはおわかりいただけるかと思います。
 私自身、そんな危惧をいだきつつも夏休みにハワイ旅行を楽しみ、円高に嬉々として外国で飲み食いや買い物をしていたのですから、頭の中で思っていることと実際にしていることが合致していませんでした。しかも、1993年7月時点では、その数年後に自分が勤めている会社が身売りされ、40歳をすぎてから転籍の憂き目に遭い、転籍先になじめず転職をしようなどとは思ってもみませんでした。
 「住専」と略される住宅金融専門会社の不良債権問題が露呈したのは1995年。翌1996年1月からの国会では、この不良債権を処理するために公的資金を入れる入れないで大モメとなっています。このときは政治家のみならず新聞・テレビ、そして国民も口から泡を飛ばして賛否を議論していたものです。しかし、このとき大きな政治問題となった公的資金の額は6850億円ですから、その後の不良債権処理に要した金額からみれば僅かな額でしかありませんでした。
 なんでこのとき、すんなり話が通らなかったんでしょうねえ・・・。


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