ThinkPad X220に続き、数年使ったスマートフォンも調子が悪くなった
こんばんは。
昨日に続き、物についてのお話です。
昨日、10年ほど使っていたThinkPad X220が不調となり、状況からしてそろそろ使えなくなるだろうと書きました。実はもう一つ、このタイミングで不調となってしまったものがありました。それは、スマートフォンです。
こちらは記憶も記録も定かではないのですが、数年前、最初のスマートフォンを購入しました。ASUSのZenFone5という、初期OSはAndoroid 4.4の機種です。それを今月(2021年10月)まで使っていました。ThinkPad X220ほどではありませんが、1台のスマートフォンを数年使うというのは、珍しいとまでは言わないまでも、少数ではあろうかと思います。
このスマートフォンは、データ通信専用で使っていました。電話自体は、と書いたところで気が付きましたが、携帯電話もやっぱり10年、同じ機種を使っていましたね。それはまた次の機会に。
話を戻すと、電話は今でも携帯電話を使っています。よって、スマートフォンはデータ通信専用という位置づけです。もっとも、スマートフォンを買ったはずですが、買ってから数ヶ月くらいは自宅でWiFi接続しかしていませんでした。とりあえず、スマートフォンというものはどういうものかということを知りたくて買っただけでしたから。
その後、外でデータ通信とSMSはできた方が良いと考えるようになり、回線契約をしてからは外でも使うようになりました。でも、(スマートフォンを)使うと言っても、LINEはほとんどしないし、メールのやりとりもそんなにあるわけでもないので、最初は何のために外に持ち出しているのか、自分でもよくわからない状態でした。
しかし、そのうちに外出先で気になったことをブラウザで調べるぐらいのことはするようになり、次に、当時乗っていた車にカーナビが付いていなかった、付けたとしても画面を視認しにくい位置にしか付けられないということで、カーナビとして使うようになりました。これでようやく、スマートフォンを外に持ち出す意味が出てきたような気がします。
その後、Kindle Unlimitedを契約して、電子書籍を読むようになったところで、電子書籍を読む端末としても使うようになりました。室内でも外でも本が読めるので、これは良いものだと思えました。
ただ、段々と老眼が進んできておりまして、スマートフォンの画面で長時間読書をしていると、読書をやめた後は目の焦点が一時的に合わなくなるようになってきてしまいました。歳を取ることにはそんなに抵抗はありませんが、肉体的な衰えについては、人並みに出てきたのだなと感じています。なお、視力自体は割と良くて、老眼になったと感じる割には、普段は裸眼で生活できています。これはありがたいですね、本当に。
そうやって、数年間使ってきたスマートフォンでしたが、先月辺りからでしょうか、頻繁にアプリケーションが止まる、OSごと固まる、不意に再起動するという症状が出るようになってしまいました。OSも、初期OSのAndroid 4.4からAndroid 5にはアップグレードして使っていましたが、そのAndoroid 5ではサポートされないアプリケーションが出てくるようになり、これから支障が生じるようになるのは目に見えていました。
実際、契約しているネット銀行のアプリケーションがAndoroid 5をサポート対象から外れ、使用している証券会社のアプリケーションも、そう遠くない先にはAndoroid 5のサポートをやめるというアナウンスが出されていました。
そのような状況になったので、そろそろ買い替え時になったのだと考え、新たなスマートフォンを購入することにして、それが今週、手元に届きました。今度のスマートフォンは、シャープのAQUOS sense4です。昨年秋に発売された機種で、今は後継のsense 6が発表されていますので、いわゆる型落ちです(sense 5は、sense4の直接の後継ではない気がしますので、あえてそう書いています)。
液晶はきれいで大容量バッテリーを搭載しているが、タッチパネルの性能が今ひとつ、カメラに至ってはだいぶよろしくないお話を聞きましたが、カメラについては使用頻度が少ないことは間違いなく(写真を撮るならデジタル一眼を使います。いや、写真を撮るためにデジタル一眼を使っている、という方が正しいです)、液晶がきれいで電池が長持ちするならそれで良しということで選びました。
ただ、GoogleのPixelシリーズやiPhoneは、カメラとしての出来(ハードの出来とともに、それを制御しているソフトの出来も良いのでしょう)が良いらしいので、そのような物を手にしていれば、スマートフォンのカメラへの認識と使い方が変わったかもしれませんが、今はそこまでの物を求めていないため、見送りました。単純に高いですし。自分の用途からすると、スマートフォンに出せる金額は3万円台だと考えていました。
私は、新しい物を手にしても、それ自体に喜びを感じることはないようです。自分を俯瞰して見ると、そう見えています。昔はそうではなかったのですが、今はそうです。ただ、自分の手元に来たからには、今度も長く使えれば良いと思っています。
ただし、本体のハード的な寿命とは別に、その機種におけるOSのサポートがいつまで行われるかによっても寿命が決まってしまうので、長く使いたいと思っても、思い通りには行かない可能性はあるだろうと認識しています。
スマートフォンに限りませんが、物は自分にとって役に立つように使いたいし、そういう物だけを持つようにしたいと考えています。物質的には非常に豊かな現代ですが、その割には、生活の質が良くなっているようには感じられないのです。正確には、人の心の豊かさでしょうか。その辺の話題については、また機会を改めて書いてみたいと思います。
物は物であり、無機的な存在なのですけれど、それを通じて心のあり方が見えてくると言うと、変でしょうか?そのような問いかけを自分にしています。
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