課題遂行能力の捉え直し 〜JF日本語教育スタンダード編
以前にnoteに、「課題遂行型日本語教育」について下記の記事を書きました。
この記事では、課題遂行型日本語教育の「課題」に注目し、「JF日本語教育スタンダード」「日本語能力試験」「日本語教育の参照枠」「CEFR」において、それぞれ「課題」がどのように定義されているかを、ざっとまとめてみました。
これを受けて、「課題遂行型日本語教育」を、コースデザインの中でどのように扱えばいいのかについて書く予定でしたが、その前に、「課題遂行型日本語教育」について、もう一度、考えてみたいと思います。
というのも、今、登録日本語教員資格取得の経過措置に伴う「経験者講習」を視聴しているのですが、これまでの自分の認識と異なる点があったからです。
私は、E1ルートなので、経験者講習は、ⅠとⅡの両方を受講しなければなりません。現在は、講習Ⅰの「日本語教育総論1-A」の講義(講師:砂川裕一先生)を終えたところです。この講義の第3節「言語教育政策」では、「日本語教育の参照枠」「JF日本語教育スタンダード(以下、JFスタンダード)」「CEFR」を取り上げていました。
講義の中で、JFスタンダードの理念について説明されていたのですが、私は、この理念がしっかり理解できておらず、以前に書いたnoteでは、「課題遂行能力」の意図するものを読み違えていたように思いました。
そこで今回は、以下の資料をもう一度読み返し、分かったことをまとめたいと思います。
『JF日本語教育スタンダード【新版】利用者のためのガイドブック』
(以下「JFガイドブック」)
JF日本語教育スタンダードの理念
まず、JFスタンダードの理念をもう一度まとめてみたいと思います。国際交流基金のWebサイトでは、JFスタンダードの概要を以下のようにまとめています。
改めて読んでみると、ずいぶんシンプルにまとめられています。当然ながら、「JFガイドブック」では、もっと詳しく説明されていました。
JFスタンダードの理念の中心になっているのが、Webサイトにも説明されている「相互理解のための日本語」です。JFスタンダードの開発にあたり、「文化を異にする人々が共に生きていく社会状況の中で、多くの言語の1つとして日本語を位置づけることを目指した(p.5)」と説明されています。
「JFガイドブック」では、「相互理解のための日本語」の特徴を以下の4つにまとめています。
上記の特徴の説明には、いくつか重要な言葉が出てくるので、改めて定義を確認しておきます。
共同行為:コミュニケーションの発信者と受信者が日本語を使って、ある領域や場で特定の課題を共同で遂行すること
課題遂行能力:課題を共同で遂行するときに必要になる能力
「課題遂行能力」は以下のようにも説明されています。
課題遂行能力:日本語に関する知識だけではなく、日本語を使って何かを行うという言語行動を中心とした幅広い能力を視野に入れた概念
異文化理解能力:日本語による発信者と受信者がお互いに柔軟に調整しあう能力
「異文化理解能力」は以下のようにも説明されています。
異文化理解能力:複合的な視野を得て、自文化を相対化して新しい視点を持つことができるようになるときに求められる能力
さらに、「相互理解のための日本語」を達成するためには、課題遂行能力と異文化理解能力の2つが必要だと説明されています。
このように読んでくると、Webサイトとはずいぶん違った印象を受けます。また、「課題を共同で遂行する」とか、「自文化を相対化して新しい視点を持つ」など、Can-doで記述したり、評価したりするのが難しい能力が理念として挙げられています。
「JFガイドブック」の14ページ以降には、「Can-doを理解する」という節が設けられ、Can-doについて詳しい説明がされています。抽象度の高いCEFRのCan-doに具体性を持たせ、JF Can-doとして、日本語での具体的な言語活動を例示しています。しかし、Can-doが具体的になればなるほど、理念として挙げられた「相互理解」「異文化理解能力」との齟齬を感じてしまいます。
JFスタンダードの理念では、共同で課題を遂行するとか、発信者と受信者がお互いに柔軟に調整し合うなど、コミュニケーションには必ず相手が存在し、その相手と共同で何かを行うことが前提となっているように読み取れます。しかし、使用場面を限定し、より具体化された言語活動が「〜できる」という形で表現されると、どうしてもその人個人の能力を測っているように感じてしまうからです。
Webサイトのように、「課題遂行能力」が「言語を使って課題を達成する能力」と簡単にまとめられてしまうと、なおさら、個人的な能力のように感じます。
「JFガイドブック」のように、Can-doの説明に多くのページが費やされ、丁寧な活用方法が示されていると、どうしてもCan-doの使い方の理解が中心になります。JFスタンダードは、「コースデザイン、授業設計、評価を考えるための枠組み」だとされているので、当然のことだと思います。
しかし、一方でその理念が置き去りになっているような印象です。かくいう私自身も、JFスタンダードの理念がすっかり見えなくなっていました。今回「日本語教育総論1-A」の講義の中で紹介された「JFスタンダード」の理念を見て、「あれ?」と感じたのはそんなわけです。
Can-doと「一般的能力」の関係
ここからは、「課題遂行型日本語教育」とは、少し離れるかもしれませんが、CEFRの「一般的能力」についても触れておきたいと思います。砂川先生の講義では、Can-doは「言語的運用力、社会的活動力、文化的理解力の複合的な行動力、実践力を含意している」と強調されていました。そして、第4節で、その意図するところが、継承日本語教育の実践例をもとに説明されていました。
この第4節の指摘がとても大切だと感じたので、ここでも少し触れておきたいと思います。
CEFRでは、全体的な言語熟達度(Overall language proficiency)を以下の4つのカテゴリーに分けています。
一般的能力(General competences)
コミュニケーション言語能力(Communicative language competences)
コミュニケーション言語活動(Communicative language activities)
コミュニケーション言語方略(Communicative language strategies)
このうちの「一般的能力」については、スケールやCan-doがありません。そのためか、「JFガイドブック」には、「一般的能力」については、ほとんど触れられていませんでした。以下が「一般的能力」について説明された唯一のものだと思いました。
「日本語教育の参照枠」では、「一般的能力」について、以下のように説明されていますが、評価の対象にはなっていません(p.76-77)。
日本語教育を「教育」という観点から捉えると、これらの能力は、「学習」を支える非常に重要な観点であると思います。しかし、「一般的能力」は、Can-doに直接反映されていないためか、教育現場では、コースデザインや授業設計の際、あまり意識されることがないように思います。
講義の中では、「一般的能力」の捉え直しとして、子どもたちの能力を「〜できる」という表現を使って、ポジティブに記述し直していくという継承日本語教育の実践例が紹介されていました。Can-doには、「言語的運用力、社会的活動力、文化的理解力の複合的な行動力、実践力を含意している」という砂川先生の言葉の意味を改めて考える実践例でした。
先に、「JFガイドブック」では、「課題遂行能力」を「言語行動を中心とした幅広い能力を視野に入れた概念」と説明されていることを指摘しました。「課題遂行能力」は、ただ単に「言語を使って課題を遂行する」だけでなく、ここで挙げられた「一般的能力」を含むもっと幅広い概念ではないかと思いました。
そう考えると、行動中心アプローチに基づいたコースデザインでは、使用場面の限られたCan-doを目標とし、レベル別に並べればいいだけではなく、そこにどのような「課題」を設定するのかが、非常に重要なのではないかと改めて思ったわけです。
「日本語教育の参照枠」でも、言語能力記述文(Can do)に多くのページが割かれています。また、認定日本語教育機関の教育課程編成の際にも、Can-doが重視されています。しかし、「JFスタンダード」の理念がどこか置き去りになってしまったように、「日本語教育の参照枠」の理念とも言える「三つの柱」に対する意識も希薄になってしまうのではないか、そんなことを考えさせられた講義でした。
「経験者講習」を受ける前は、養成段階までもどって講義を受けることに意味があるのかと否定的に捉えていましたが、これまでの自分の認識を見直す良い機会になると思いました。こんな調子で、来年4月30日までに全講習を終えることができるのか、前途多難ですが、自分の備忘録も兼ねて、今後も講習を受けて考えたことなどもまとめていきたいと思います。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。