【47】子育てで「慈しみ」を注ぐ
私には3歳と5歳の孫がいます。その二人の孫たちを通して、私が子育て真っ只中の状況で同じ年齢だった息子と接していた時期を思い出し、記憶を重ねて孫たちの成長を見守る中で、改めて感じることがあります。
私の中にあるイメージとして、子どもは安らぎの中に包まれていて、その安全な中で自由に動きまわる。そして、大人たちから降り注がれる愛情をスポンジのごとくどんどん吸収しつつ、自分(個)を作りながら成長していく。そして、その降り注がれたたくさんの愛情は、子ども達の中で細かく分解されて、社会性、人間性、協調性などを育む礎になっていくような気がしています。
さらに浮かんでくる『慈しむ』ということばも大切にしたい。「慈しむ」とは、大切に可愛がることを意味します。またそれだけではなくて、この言葉は非常に難しくもあり、とても意味深いことばでもあるから、辞書的な意味では理解していると感じるものの、実際の日常においてはどんなことだろうとも考えることもあります。
私の『慈しむ』とは、大切に大切に、愛情をこの上なく純度を高めて余分な部分を蒸発させ残った1滴の雫のような……そう、エッセンスオイルのようなイメージ。
子ども達はとても細かいことを感じ取ります。だから大人は、そんな子ども達に対して、純粋に付き合う(向き合う)ことで目線を合わせられるのかな?と思います。ここで私が表現している目線を合わせるというのは、大人も子どもと同じように、頭の中を純粋な思いにして接することができるかという表現が近いかもしれません。
今私は、二人の孫におばあちゃんとして、おばあちゃんだからこそ与えられる愛情を、一緒に過ごしている時は精一杯注ごうと心がけています。
同じ目線で向き合って、子ども達が膨らます想像の世界を、一緒にどんどんどんどん大きく拡げながら楽しもうと過ごしています。
私が子育てで取り組んできたことを、専門書に書かれていることではなくても、自分で感じたことをnoteに書いて表現しています。うまく伝えることができているかはわからないですが……。
今では笑い話で娘とも話すのですが、長女は小学校6年生までサンタさんを信じていました。周りのお友達も、ノリでうまく合わせてくれて、本当のことは娘には伝わらずやり過ごしていました。
…最後は「やっぱりママたちなんだね!」とばれてしまいましたが。
これは、子どもをだまそうとして毎年続けていたわけではなく、サンタさんがいることを信じる娘のキラキラしている瞳を大切にしていたかったという私の気持ちも強かったと思います。
人によってはこの思い出も、子どもに長い間信じさせておかしな人と受け止められるかもしれません。
でも、今の娘が楽しそうに子育てをしている姿、孫たちがのびのびとした豊かな表情で育っている姿を見せてくれると、私の慈しみはしっかり娘に届いて、そして孫にも届いているだろうと感じさせてもらえるのです。
これまでnoteに書いてきた息子の成長の日々もですが、私なりに考えながら向き合ってきた子育ての時間を想ったときに、大事な思い出になっていると感じたものの1つでもあります。
子育てには「正解」はありません。だから何を尺度にして取り組めばいいか分からないこともあると思います。ただ一つ、人それぞれに性格や家風があるように、養育者に愛情があって、どんないい事(プラス)があるかという想いがしっかり背景にあるのであれば、その思いは子どもがしっかり受け止めて、成長して大きくなってもきちんと心に蓄積しているんじゃないかと思っています。
そして、最近の孫たちとの思い出もこの私の想いにつながっていたなと感じるできごとがあった。これについても、また書いてみたいと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。