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弔うと悼むについて考えてみる

🐲「あいつが亡くなってどれ位たつかな?」
🐯「もう7年になるな。 9月だけど墓参りもう行ったのか?」
🐲「・・・いや、まだ行ってない。 そもそも墓参りに少し疑問を持っているんだよ。うちの母親を見て思うんだけど、まるで義務のようにお墓に向かうわけ。 あの行為って亡くなった人の為なの? それとも自分の為?」
 🐯「・・・自分の為って何? よく分からないけど亡くなった人を思っての行為なんじゃないの?」
🐲「歌でもさ、‟私はそこにはいません~♪” なんて歌っているじゃない、そこに行くって事は故人に会えるとか、近くに感じるとか思って行くんだろ? でもそこにはいないじゃない、俺が死んでも石の下になんか絶対いたくないし。
そう思うとさ、亡くなった人の為というよりは自分の気持ちの整理の為に行くんじゃないの? それってその人を出しにしていない?」
🐯「相変わらずだな、どっちでも良いんじゃないの? その人とのつながりは確かなんだから。 そんなことでごちゃごちゃ言う奴だったら初めから友達になってないだろ。」
🐲「・・・そうなのかな。」
🐯「個人個人の考え方だろ! 合わせる必要なんてないんだよ。 自分だって曲の捉え方なんて受け取り側が出した答えが正解だっていつも言ってるじゃんか。」
🐲「・・・・・・そうだな。」

「まるで義務のようにお墓に向かう・・・」

昔から彼女はそうだった、故人の月命日には必ず墓参りに訪れる。
何かに取り憑かれているかのように、自分に課した義務のように。

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