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生産性が上がらない日本のシステムを再確認する〜あなたは1時間にどれだけの付加価値をつけられますか?〜

 公務員として働くこと約10年。毎日が同じことの繰り返しと感じたり、自分なら4時間でできる作業を周りと合わせて行うために残業する事になるなど、その働き方に大きな疑問を持ち、耐えきれなくなって退職するに至りました。自分としては“いかに自分の時間を確保するか”が大切な事柄になっているのです。

 “自分の時間”はとても大切です。家族との時間、自己研鑽の時間、体を労る時間、新しいものや人に出会う時間など、人生にとってなくてはならない時間です。ところが公務員という身分を離れて社会全体を改めて見てみると、“自分の時間”を安売りしている人が多くいることに気がつきます。あるいはそれを促すような社会的なシステムが浸透しすぎて、疑念を持たずに今なお搾取され続けている人がほとんどだといってもいいでしょう。

時給の考え方

 皆さんは時給いくらなら働きますか?1000円?1500円?3000円と聞くと飛びつく方はいるかもしれませんね。しかし、「時給」というシステムは恐ろしいものです。それはなぜかというと「何もしなくても時給⚪️⚪️円」であり、反対に「どれだけ成果を出しても時給⚪️⚪️円」なのです。
 もう少し具体的に話してみましょう。まず前者(何もしなくても⚪️⚪️円)は「何の努力をせずとも、あるいは結果が出なくても対価がもらえる」契約と捉えることができます。このタイプで生じやすい問題は、「努力している人の時間を搾取する」可能性があり、結果的に意欲的な人のやる気を削ぎ、企業全体が停滞するという負の連鎖を引き起こします。
 皿洗いをするAさんとBさんがいたとします。決められている作業量を、いつも決められた時間ぴったりに完了させるAさんに対し、30分で作業を終えて30分をのんびり過ごしているBさん。そこに雇用者が来て、Bさんがサボっていると叱責するのです。両者の作業量は結果的に同じであるはずなのに。

 感覚的には理解してもらえたでしょうか?時給という制度はあくまで時間に対する対価であり、「能力を買っているのではない」ということ。さらに「個人の工夫や改善」といった人間本来のクリエイティブな活動を求めているわけではないと考えて良いと思います。もしそうならさっきのBさんは褒められて然るべきなのですが、そうはならなかった。つまり、成果ではなく「働いている事実」に価値があるとみなされたわけです。これでは成果が二の次となり、企業の成長が見込めないのは明白です。もし、あなたの雇用者が“クリエイティブ”な能力に価値を見出してくれるなら、そこには必ず手当という形で一層の報酬を与えてくれるに違いありません。

時間VS成果

 続いて後者(どれだけ成果を出しても⚪️⚪️円)について。これは至ってシンプルで、努力するだけ無駄という形になります。つまり、先程のBさんのケースで、早く済ませ、空いた時間を別の作業に費やすといった発想を生み出したり、より効率的な方法を浸透させるために必要な技術を有する人材であるはずなのに、そこの部分に対する対価は一切支払われないということです。結果としてBさんがどうなるかというと、努力しなくなるというのは一目瞭然ですね。

 さて、最後になります。
 巷にはたくさんの仕事があります。その中で「一人ひとりの力が発揮される状況」のはどういった条件のもとでの労働なのでしょうか。今回は時給を取り上げましたが、実は固定給も同じことが言えます。公務員でしたから安定はしていました。でも、「仕事していないのに同じ給料をもらう人」や、「人より数倍も仕事をこなしているのに同じ給料の人」をみると、やっぱりフェアではないと感じました。何より、常に学ぶ姿勢を持ち続けることが大切なはずなのに、同じことを繰り返すことに満足する集団に飽き飽きしたわけです。私は少し極端な成果主義なのかもしれませんが。
 このnoteを読んでくださった方にお願いしたいことは、ぜひ自分を安売りしないでいただきたいということです。皆さんの時間は有限です。経営者の中にはそのことを理解し、皆さんのいい部分に対して対価を支払うことを進んでできる方々がおられます。そのような理想的な経営者に出会うことは金銭的にはもちろん、生き方の面でも良い影響を受けるはずです。あなたの付加価値をつける能力を見出してくれるそんな経営者が増えること、そして皆さんが理想的な経営者とともに仕事をされることを祈っております。

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